さてさて、辰吉(たつきち)の住まう長屋に花一輪、紅一点とでも申しましょうか、あの汚いこぼれかけた処にパアッと光が差したようです。
ご隠居の甚兵衛(じんべえ)さんの言われるとおり、目元の涼しい、鼻筋のすっと通った、色白の、口元のきゅっとつぼまった、別嬪も別嬪、楚々とした娘盛りが辰吉の前に立っております。
「うわぁ。別嬪さんやぁ。日本の方でっか?」
と辰吉はぽかんと口をだらしなくあけて見てます。
「何言うてんねんな。あたりまえやがな。ほら、さっさと上がってもろて、挨拶してもらいなはれ」
ご隠居さんが、辰吉をせかします。
「きったないとこですけど、どうぞ、こちらへ。どうぞ」辰吉はあわてて、娘さんと仲人のご隠居を招き入れました。

さっきの座布団はぬか袋になってしもたんで、奥から別の綿の出た硬そうな座布団が出されます。
娘さんは、別に嫌な顔もせず、丁寧にお辞儀をして、にじり寄り、座布団をひざのほうから下に敷きこんで座りました。
そして、面(おもて)を下に向けたまま、おもむろにこう切り出しました。
「こわくごめんあれ。わらわ、このたび、じんひょうえ(甚兵衛)さまのなからびと(仲人)をもって、とうけへか(嫁)しきたり、せんぎょく(意味不明)せんだん(浅短?)にいってまなばざれば、きん(勤)たらんとほっすぅ・・・」
ぽかんと、聞き入る辰吉です。さっぱりわかりません。
「は、はいぃ。まぁ、よろしゅうおたの申します。きんたろさんと相撲をとられるんですか。あの方は強いですよぉ。無理ちゃいまっか?」
と、辰吉。
「何を言うてんね。金(きん)たらんと欲すと言うたはんね」
ご隠居さんが、教えてくれましたが、ご隠居も間違ってますね。
ご隠居の甚兵衛さんは、「まあ、まあ、まあ」と百ぺんも言うて、辰吉と娘さんの祝言を済ませました。
ほんで、「仲人は宵の口」とばかりに、二人を置いて、さっさとお帰りになりましたよ。
あとは、言葉の難しい娘さんとアホの辰吉が汚い部屋で差し向かいです。
「ほんにきれいな人やけど、言葉がわからんちゅうのは難儀なこっちゃな。そや、名前はなんちゅうのやろ?ご隠居も、ご隠居や。名前くらい、言うといてくれたらええのに・・」
と、ぶつぶつ、言うてる辰吉です。
「あのぉ。わたいね、名は、たつきちちゅうんですけど。ま、「たつ」で通ってます。ほんで、あぁたの、お名前は、なんちゅわはるの?」
「はて、わらわの、せいめいなるや?」
「ほう、わらやのせいべえはんでっか。男みたいな名前でんな」
「これはいなことをのたもう。わらわ、ちちは、もときょうと(京都)のさん(産)にして、せい(姓)はあんどう(安藤)、なはけいぞう(慶三または啓蔵とも)、あざな(字)をごこう(五光)ともうせしが、わがはは、さんじゅうさんさいのおり、あるよたんちょう(丹頂)をゆめみ、わらわをはらみしがゆえに、たらちねのたいない(胎内)をいでしころは、つるじょ(鶴女)、つるじょともうせしが、これはようみょう(幼名)。せいちょうののちこれをあらため、えんようはく(延陽伯)ともうすなりぃ」
「なっがい、お名前ですなぁ。あぁた、お一人ぶんですかそれ?ご親戚やお友達のも一緒に預かってはるてなことおまへんか?覚え、言うたら、覚えまっけど、いっぺんにはとてもとても。ちょっとここに書いとくなはれ。さっき、言わはったこと、みんなここに」
と、大工仕事に使う帳面と矢立の墨つぼを開けて娘に渡します。
すると、さらさらと達筆な文字が帳面に並びました。
「おおきに、ありがとさん。え~なんやて?わらわのせいめいなるや~、わらわのちちはもときやうとのさんにして~、せいはあんどうなはけいぞうあざなをごこうともうせしが~・・・つるじょ、つるじょともうせしが~これはようみょう~せいちやうののちこれをあらため~えんようはくともうすなり~なむあみだぶ、なむあみだぶ、ち~ん」

お経になってしまいました。
「しかし、こうなると、隣の嫁はんの名前はええなぁ。おさきやもん。なんちゅうたかて、短い。「おい、おさき、風呂いくど。手ぬぐい出せ」で済むもんな。うちはこうはいかんで「おい、わらわのせいめいなるや。わらわちちはもときやうとのさんにして、せいはあんどう、なはけいぞう、あざなをごこうともうせしが~・・・せいちょうののちこれをあらためえんようはくともうすなり~。風呂いくさかい、手ぬぐい出して」って、夜が明けてまうわ」
「風呂ぐらいやったらまだええで。火事てなことになったら大変やで。隣やったら「おさき、火事や、はよ逃げぇ」で済むもんを、うちは火がぼうぼう燃えてきてんのに「おい、わらわのせいめいなるや、わらわちちはもときゃうとのさんにして、せいはあんどう、なはけいぞう・・あつ、あつう、焼け死ぬわ~い」
あほな想像をしているうちに、眠たくなって「ほな、今日はもう寝まひょか、お布団ひいて」
辰吉は普段は万年床にしてたせんべいぶとんを、押入れから一そろい出して敷きます。
嫁さんも嫌な顔ひとつせず、手伝います。
「今晩から、一人で寝んのんとちがうんやでぇ。嫁はんと二人やでぇ」
お嫁さんも、声こそ出しませんが、にっこり笑っていました。
この二人、存外、うまくやっていけそうですね。

「一旦、偕老同穴(かいろうどうけつ)の契りを結びし上からは、千代八千代に・・・」てなことも済ませまして、あくる朝です。
※偕老同穴とは、共白髪になるまで寄り添うことを言います。
夫に寝顔を見せるのは妻の恥とばかりに、朝早くから起き出しました嫁は、朝餉の用意をいたそうと、台所に立ちます。
しかし、ご飯を炊ぐのに、お米が見当たりません。
寝ている夫の枕元に手をついて
「あぁら、我が君(きみ)。しらげのありかは、いづくに?」
「はぁ?わたい、しらみはわかしたことはないで。自慢やないけど」
「しらげというは、よね(米)のこと」
「あんた、よねやん、知ってんの」
話になりません。
なんとか米を見つけて、嫁さんは炊くことができました。
すると今度は、味噌汁の実がないようです。
都合よく、ぼてふりの八百屋が長屋の前を通りかかりました。
「ただいま、門前(もんぜん)に市(いち)をなす賎(しず)のおのこ。おのこやおのこ」
と、嫁が表で呼び止めます。
「そもじの、所持(しょじ)なすしらねくさ(白根草)、ひとわ(一束)、あたい、いくばくなりや?」
八百屋はびっくり顔で、女を見ています。
しかし、八百屋はいろんな客を知って心得ておりましたので、だいたいの意味をつかみ取り
「へぇ、五厘です」
すると嫁さん
「我が君の御意(ぎょい)に叶うか伺うてくるあいだ、暫時(ざんじ)、ひかえておれ」
そうして、嫁さんがまたまた、夫の枕元に手をついて
「あぁら、我が君・・・」
「なんやなもう。え~、八百屋、待たしてんの?早よしたって。よそ、回らなあかんねんから」
そんなこんなでやっとこさ朝餉の支度ができました。
「日も東天(とうてん)に昇りしからは、うがい、ちょうずに身を清め、ご飯も早く召し上がってしかるべき、恐惶謹言(きょうこうきんげん)」
「飯がきょうこうきんげんなら、酒は酔って(依って)件(くだん)の如しや」

お後がよろしいようで・・・