俺は、終点の駅に降り立った。
改札を出ると、駅前にはローターリーがあり、バスが一台停まっている。
『行者岬めぐりコースはこちら』の看板も目に入った。
海の薫が鼻腔を満たし、午前の日差しもやわらかく春先ののどかな一日の始まりだった。
こずえが言っていたのは「行者岬」だった。
山育ちの俺は、岬というものは灯台が立っている岸壁だと勝手に想像していた。
二人で来ようと約束していたけれど、それはかなわなかった…
「こずえ!こずえ!しっかり!」
俺はありったけの声で、チューブだらけのこずえの手を握り励ました。
バイタルは低下し、俺の声にも反応はなかった。
生まれながら心臓の悪かったこずえは、しかし、二十八年間、立派に生きた。
俺と一緒だった時間は、短かったかもしれない。
たった三年ほどだった。
彼女に出会ってから…
ファロー四徴症。
聞き慣れない病名だった。
こずえの胸の中央には手術の後が痛々しく残っていたのを、最初にベッドをともにしたときに見た。
恥じらうように胸に手を当てながら、彼女は自分の背負った病を話してくれた。
俺は、こずえを抱いた。
ともすれば壊れそうな華奢な体を、いたわるように抱いた。
俺は、その時のことを空っぽのバスの最後尾の席に座って思い出していた。
岬めぐりの客など、まだこの季節には早いのか、誰もいないようだった。
バスは定刻になるまで動きそうになく、運転手も表に出て伸びをしている。
右手方向の旅館などの建物の合間から青い海が見えている。
俺は、見るでもなくその方向に目を向けていた。
こずえは、海の話をよくしてくれた。
彼女は、ここからすぐ近くの漁村で幼少期を過ごしたそうだ。
しかし、病気が発覚すると両親は大病院のある県庁所在地の都市に引っ越したという。
生まれた時から顔色の冴えない子で、すぐ呼吸が荒くなるし、幼稚園でも休みがちで、町医者も大病院に行けと勧めてくれたそうだ。
ばたばたと足音がして、グレーのスーツを来た四十代くらいの女がバスに乗り込んできた。
ケータイで何か話しながら。
「だから、間に合わないって言うてんのよ。今からじゃ。バスに乗ったからね。もう切るよ」
そんなことをケータイに向かって言っている。
時間になったのか、運転手が運転席についた。
「行者岬めぐりコース、発車いたします」
備え付けのスピーカーから運転手の割れた声が響いた。
車内には、さっきの女と俺しか乗っていない。
女は真ん中の席に座って窓の外を見ている。
バスは動き出し、ロータリーを大きく回って本通りに出た。
ディーゼルエンジンの音がやけにがらがら響く、おんぼろバスだった。
すぐに駅前の町並みを抜けて、バスは海岸沿いの国道に出る。
もう窓の外は太平洋だ。
黒々とした岩に、波が当たって砕けている。
泡立つ水は、すぐに深い青になって消える。
岩肌にへばりついて松が生え、一幅の絵になっている。
空には雲がたなびき、風に流されている。
まだ、寒々とした風景だった。
「次はただみ。お降りの方は降車ボタンを押してください」
最初のバス停のアナウンスがあった。
前方にバス停が見えて来、人影が見える。
バスが停まると、お客が乗ってきた。
肥えた老婆だった。
またしばらく、海岸沿いをバスは走る。
こずえは、行者岬で家族でお弁当を食べたことをよく話してくれた。
ピクニックなどという洒落たものではないが、忙しい彼女の父親に休みができ、両親と一緒に出かけたのだろう。
名前から連想されるほど険しい岬ではなく、広場もあり、近隣の家族連れやカップルで賑わうそうだ。
役行者(えんのぎょうじゃ)が修行した伝説のある岩場があるからそんな名前があるのだと、こずえが説明してくれたっけ。
二度目の手術は、難しいと執刀医に説明を受けた。
彼女の両親は、婚約者である俺をカンファレンスに同席させてくれた。
彼女の父は、
「おそらくこれが最期になるかもしれん。裕也君、最期までこずえのそばにいてやってほしい。こずえが選んだ君だからね」
暗に、こずえが亡くなるまでの間、娘に夢を見させたまま送ってやってほしいというように取れた。
彼女の両親は、もとより娘の結婚など無理だと思っているようだった。
「婚約者」を演じる俺が、臨終の彼女に寄り添ってやってほしいというのが正直な気持ちだったのかもしれない。
果たして、十時間あまりに及んだ手術は終わった。
長い、待合室での時間だった。
朝から冷える日で、とうとう夕方から雪が本降りになってしまったのを覚えている。
彼女の父は終始無言だったが、さっきの一言だけ、俺に告げたのだった。
母親は目を真っ赤に腫らして、鼻をすすっていた。
この家族は、今、悲しみにうちひしがれている。
こずえはCCUに入れられ、意識が戻らないまま二日が過ぎた。
自発呼吸は難しく、機械に頼っていた。
肩の病衣がはだけて、白い肌が見えていた。
出血の後だろうか、血糊が拭き取られた跡が生々しくのこっていたのを、俺は思い出していた。
容体が急変したのはその翌日だった。
夜中に、泊まりこんで俺たちはこずえの回復を信じて待っていた。
しかし、無情にも、ナースが危篤を告げに来た。
CCUでは慌ただしく人々が動いている。
「そばに来てあげてください」
執刀医が両親と俺を促す。
「バイタルが低下し、手を施していますが、維持が困難な状況にあります」
医師は額に汗して、そう告げた。
もう、だめなのか…
俺は、こずえの手を握り、いとおしんだ。
「こずえ…しっかり。俺がわかるか?」
こずえは、苦しそうな顔をしていなかった。
やすらか寝顔だった。
チューブなどがなければ…
「こずえちゃん」
母が声をかける。
父が母を支える。
モニターのアラームが鳴りっぱなしだった。
心拍が落ちているのだ。
SpO2も下がっている。
自発呼吸できていないから、心肺装置で持たせているだけだった。
心拍が平坦になりつつあった。
「こずえ、覚えてるかい?行者岬にいっしょに行こうって」
俺は、なぜかそんなことを口走っていた。
こずえの指が少し俺の手を握り返してくれたように思えた。
そして、彼女の目尻から一筋の涙がほほを伝った。
「こずえっ!」
「行者岬ぃ。終点です。お降りの方は前の方からお願い致します」
車内アナウンスで俺は現実に引き戻された。
料金箱に銀貨を投入して、俺はバスから降りた。
岬の看板の前で、同じバスに乗っていた中年女が、またケータイで喋っている。
「もしもし、なおこです。はい…今、お電話いいですか?」
岬の風は強かった。
かぶっているキャップが飛ばされそうになる。
水平線はゆるやかに丸く、地球を示していた。
白亜の灯台がそびえている。
想像通りの立派な灯台だった。
石造りの門柱に「行者岬燈台」と書かれた銅板がはまって、緑青がふいていた。
「来たよ。こずえ。行者岬に」
俺は、こずえの遺影の入ったロケットを開き、海にかざした。
あなたがいつか話してくれた
岬をぼくはたずねて来た
ふたりで行くと約束したが
今ではそれもかなわないこと
岬めぐりのバスは走る
窓にひろがる青い海よ
悲しみ深く胸に沈めたら
この旅終えて、街に帰ろう
<『岬めぐり』作詞 山上路夫 作曲 山本厚太郎>
終
改札を出ると、駅前にはローターリーがあり、バスが一台停まっている。
『行者岬めぐりコースはこちら』の看板も目に入った。
海の薫が鼻腔を満たし、午前の日差しもやわらかく春先ののどかな一日の始まりだった。
こずえが言っていたのは「行者岬」だった。
山育ちの俺は、岬というものは灯台が立っている岸壁だと勝手に想像していた。
二人で来ようと約束していたけれど、それはかなわなかった…
「こずえ!こずえ!しっかり!」
俺はありったけの声で、チューブだらけのこずえの手を握り励ました。
バイタルは低下し、俺の声にも反応はなかった。
生まれながら心臓の悪かったこずえは、しかし、二十八年間、立派に生きた。
俺と一緒だった時間は、短かったかもしれない。
たった三年ほどだった。
彼女に出会ってから…
ファロー四徴症。
聞き慣れない病名だった。
こずえの胸の中央には手術の後が痛々しく残っていたのを、最初にベッドをともにしたときに見た。
恥じらうように胸に手を当てながら、彼女は自分の背負った病を話してくれた。
俺は、こずえを抱いた。
ともすれば壊れそうな華奢な体を、いたわるように抱いた。
俺は、その時のことを空っぽのバスの最後尾の席に座って思い出していた。
岬めぐりの客など、まだこの季節には早いのか、誰もいないようだった。
バスは定刻になるまで動きそうになく、運転手も表に出て伸びをしている。
右手方向の旅館などの建物の合間から青い海が見えている。
俺は、見るでもなくその方向に目を向けていた。
こずえは、海の話をよくしてくれた。
彼女は、ここからすぐ近くの漁村で幼少期を過ごしたそうだ。
しかし、病気が発覚すると両親は大病院のある県庁所在地の都市に引っ越したという。
生まれた時から顔色の冴えない子で、すぐ呼吸が荒くなるし、幼稚園でも休みがちで、町医者も大病院に行けと勧めてくれたそうだ。
ばたばたと足音がして、グレーのスーツを来た四十代くらいの女がバスに乗り込んできた。
ケータイで何か話しながら。
「だから、間に合わないって言うてんのよ。今からじゃ。バスに乗ったからね。もう切るよ」
そんなことをケータイに向かって言っている。
時間になったのか、運転手が運転席についた。
「行者岬めぐりコース、発車いたします」
備え付けのスピーカーから運転手の割れた声が響いた。
車内には、さっきの女と俺しか乗っていない。
女は真ん中の席に座って窓の外を見ている。
バスは動き出し、ロータリーを大きく回って本通りに出た。
ディーゼルエンジンの音がやけにがらがら響く、おんぼろバスだった。
すぐに駅前の町並みを抜けて、バスは海岸沿いの国道に出る。
もう窓の外は太平洋だ。
黒々とした岩に、波が当たって砕けている。
泡立つ水は、すぐに深い青になって消える。
岩肌にへばりついて松が生え、一幅の絵になっている。
空には雲がたなびき、風に流されている。
まだ、寒々とした風景だった。
「次はただみ。お降りの方は降車ボタンを押してください」
最初のバス停のアナウンスがあった。
前方にバス停が見えて来、人影が見える。
バスが停まると、お客が乗ってきた。
肥えた老婆だった。
またしばらく、海岸沿いをバスは走る。
こずえは、行者岬で家族でお弁当を食べたことをよく話してくれた。
ピクニックなどという洒落たものではないが、忙しい彼女の父親に休みができ、両親と一緒に出かけたのだろう。
名前から連想されるほど険しい岬ではなく、広場もあり、近隣の家族連れやカップルで賑わうそうだ。
役行者(えんのぎょうじゃ)が修行した伝説のある岩場があるからそんな名前があるのだと、こずえが説明してくれたっけ。
二度目の手術は、難しいと執刀医に説明を受けた。
彼女の両親は、婚約者である俺をカンファレンスに同席させてくれた。
彼女の父は、
「おそらくこれが最期になるかもしれん。裕也君、最期までこずえのそばにいてやってほしい。こずえが選んだ君だからね」
暗に、こずえが亡くなるまでの間、娘に夢を見させたまま送ってやってほしいというように取れた。
彼女の両親は、もとより娘の結婚など無理だと思っているようだった。
「婚約者」を演じる俺が、臨終の彼女に寄り添ってやってほしいというのが正直な気持ちだったのかもしれない。
果たして、十時間あまりに及んだ手術は終わった。
長い、待合室での時間だった。
朝から冷える日で、とうとう夕方から雪が本降りになってしまったのを覚えている。
彼女の父は終始無言だったが、さっきの一言だけ、俺に告げたのだった。
母親は目を真っ赤に腫らして、鼻をすすっていた。
この家族は、今、悲しみにうちひしがれている。
こずえはCCUに入れられ、意識が戻らないまま二日が過ぎた。
自発呼吸は難しく、機械に頼っていた。
肩の病衣がはだけて、白い肌が見えていた。
出血の後だろうか、血糊が拭き取られた跡が生々しくのこっていたのを、俺は思い出していた。
容体が急変したのはその翌日だった。
夜中に、泊まりこんで俺たちはこずえの回復を信じて待っていた。
しかし、無情にも、ナースが危篤を告げに来た。
CCUでは慌ただしく人々が動いている。
「そばに来てあげてください」
執刀医が両親と俺を促す。
「バイタルが低下し、手を施していますが、維持が困難な状況にあります」
医師は額に汗して、そう告げた。
もう、だめなのか…
俺は、こずえの手を握り、いとおしんだ。
「こずえ…しっかり。俺がわかるか?」
こずえは、苦しそうな顔をしていなかった。
やすらか寝顔だった。
チューブなどがなければ…
「こずえちゃん」
母が声をかける。
父が母を支える。
モニターのアラームが鳴りっぱなしだった。
心拍が落ちているのだ。
SpO2も下がっている。
自発呼吸できていないから、心肺装置で持たせているだけだった。
心拍が平坦になりつつあった。
「こずえ、覚えてるかい?行者岬にいっしょに行こうって」
俺は、なぜかそんなことを口走っていた。
こずえの指が少し俺の手を握り返してくれたように思えた。
そして、彼女の目尻から一筋の涙がほほを伝った。
「こずえっ!」
「行者岬ぃ。終点です。お降りの方は前の方からお願い致します」
車内アナウンスで俺は現実に引き戻された。
料金箱に銀貨を投入して、俺はバスから降りた。
岬の看板の前で、同じバスに乗っていた中年女が、またケータイで喋っている。
「もしもし、なおこです。はい…今、お電話いいですか?」
岬の風は強かった。
かぶっているキャップが飛ばされそうになる。
水平線はゆるやかに丸く、地球を示していた。
白亜の灯台がそびえている。
想像通りの立派な灯台だった。
石造りの門柱に「行者岬燈台」と書かれた銅板がはまって、緑青がふいていた。
「来たよ。こずえ。行者岬に」
俺は、こずえの遺影の入ったロケットを開き、海にかざした。
あなたがいつか話してくれた
岬をぼくはたずねて来た
ふたりで行くと約束したが
今ではそれもかなわないこと
岬めぐりのバスは走る
窓にひろがる青い海よ
悲しみ深く胸に沈めたら
この旅終えて、街に帰ろう
<『岬めぐり』作詞 山上路夫 作曲 山本厚太郎>
終