もう、最後だしね、これだけは言うとくね。

我が国と韓国や中国との歴史認識の違いなど、議論に値しない。

日本が南京で虐殺を行ったとか、朝鮮人を従軍慰安婦にしたとか、当事者にとっちゃ、いたたまれない事実だけれど、あたしをも含めた後世の人間がそんな目にも遭ってないのに、とやかくいう権利はないだろう?

それは日本での「尊皇派」がどうの、「佐幕派」がどうの、「平家」がどうだ、「源氏」がどうだという議論に等しい。

先の大戦の特攻隊の是非やらなんやらも、当事者でない我々が「美しい」だの、「犬死に」だのと総括するのもおこがましい。

反省はそれを行った人間がするもんで、それにかかわらなかった後世の人間がするものではないし、謝る必要もない。

そうしないと、いつまでも「恨(ハン)」だかなんだか知らないが、外交にまで持ちだして、我が国に理不尽を強いることになるだろう?

知り合いの韓国人が、加藤清正を非常に憎んでいた。
「あんた、ヤツに会ったことがあんのか?」
「あるわけないだろ。しかし、彼は朝鮮半島でひどいことをした。だから許せない」
あきれてものも言えなかった。

太閤もキライだそうで、あたしも嫌いだが、そういうレベルの問題ではなさそうなのだ。

日本人は、靖国に祀られている英霊のおかげで、今があるから感謝してあそこに詣るのだという。

これも信仰だからと片付けてしまえば、とやかくいうことは無いのだけど、あたしにしたら、別に血縁でもないのに詣る気持ちがようわからんのである。

勝手に感謝するがいい。
英霊なんて、あるもんか。

過去のことを研究するなとは言わない。
歴史がいろいろ教えてくれる部分は確かにある。
また、汲めども尽きぬ、当時の人間のすばらしさ、愚かさが歴史には記されている。
しかし、それは済んでしまったことで、もはやどうすることもできない痕跡にすぎない。

あたしは科学史を学んで、人間の思索の醸成を知るにつけ、その深みに感銘を受けた。
その裏には戦争の歴史、略奪の歴史もあったことを嫌でも知らされる。
そういう、危機や犠牲や欲望のねじ曲がりが、人に知恵を絞らさせ、今の豊かな生活につながっている。

核開発がそうだった。
言うまでもないだろう。

淡々と歴史を学べ。
憎しみや、主観を持って語ってよいのはあくまでも「当事者」だけだ。
傍観者がそこに意見を差し挟む余地はない。

あたしは、これだけを言うて、筆を置きたい。