九州は「火の国」と呼ばれ、その活火山の多さは日本列島に於いて比類ない。
阿蘇や雲仙を筆頭に、霧島、桜島、沖永良部など数々の活火山がうごめいている。

死都日本

これが、いま読んでいる『死都日本』(石黒耀)です。
九州の南部、加久藤カルデラの「破局的」噴火の火砕流が都城市や日向市、鹿児島市を一瞬にして襲います。
その科学的な描写が凄まじく、息をのみます。
人々は自分の死を自覚する前に消滅するのです。ある意味、極楽なのかもしれない。
いや、中には焼かれ、その断末魔の苦しみにもがきながら息絶えるのかもしれません。
よく言われる「阿鼻叫喚地獄」でありましょう。

それはイタリーのベズビオ火山の遺跡発掘で、ほぼその悲劇が解明されつつあります。
人々は時間が止まったように、生きていた一瞬の姿そのままに火山灰の地層から掘り出されたのです。
笑って歓談していたのでしょうか?
おいしいものを食べながら…

その過去の出来事が、九州でまさに起こった…そういう小説なのです。

一方で、こういうものも私は読んでいる。

山頭火の生涯

明治の自由律俳人、種田山頭火(たねださんとうか)であります。
彼が故郷熊本で妻子を捨てて、仏門に身をなげうつ。
そして俳句三昧に生きるのです。
禅宗の門を叩く決意をするのですが、元来の酒好き、福井県永平寺に行く願を立てるも、しばらくは熊本周辺をうろつくのです。
都城や宮崎県の京町の温泉街などを托鉢しながら歩きます。
都城(今の都城市)では裕福な人が多く、お恵みも多かったらしい。
京町では、久しぶりの湯につかり、芋焼酎にもありつき、好きな豆腐でいっぱいやったらしい。
彼の、自由気ままな乞食旅は、こうして日本全国に及んでいくのだった。

一すぢの 水を引き 一つ家の秋 (山頭火)

晩夏に行乞に出た山頭火は、秋の訪れを感じる。
自由律俳句とは「五七五」の形式に頓着しない俳句をいいます。
尾崎放哉やその師匠の荻原井泉水が自由律俳句ではつとに有名ではあります。

咳をしても一人 (放哉)

のような俳句(?)は、なぜか有名です。

放哉は、東京帝大出身の超がつくほどのエリートでしたが、俳句への陶酔が周りを見えなくしてしまい、自分勝手に出奔して、人々に迷惑をかけつつ、小豆島の古寺に住み込んで、俳句三昧に生きました。
島の人々の好意で生かされていることを、つゆほども気に留めないで、偉そうに振舞って死んでいきます。
俳人とは、なんと不義理な人が多いのでしょうか?
山頭火にしたって、おかしな人です。
やはり、自分勝手なんですよ。
それでも生かしてもらえる時代があった。
そして今もなお「山頭火」は「放哉」とともに名を残している。
わからないが、わかる気もする…

九州が「火の国」であることと、「山頭火」という俳号には何か関係性を感じないではいられない。

物語では都城(みやこのじょう)は焼かれて埋もれてしまうけれど、山頭火が彷徨したこの町は美しい。
日本の「ポンペイ」、都城の夢でした。