「クラインの迷路」をひとまず休んで、その間に私が読んだ本をご紹介します。
災害パニックを扱った石黒耀の『死都日本』に続いて、高嶋哲夫の『富士山噴火』そして、同人のサスペンス小説『イントゥルーダー』を読みました。

高嶋哲夫氏は1949年生まれの70歳で慶応大学工学部を卒業され、同大学院修士課程修了という高学歴の理系小説家であります。
作家になる前には日本原子力研究所に勤務し、そののちにカリフォルニア大学に留学されてもいます。、
『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞(第16回)を受賞し、2015年には『富士山噴火』を上梓されるわけです。
理系作家として石黒耀氏と比肩する作家ですが、高嶋氏はミステリー的な人間ドラマも書けるので、東野圭吾風なところもあるのです。
そういう点で、私は好きな作家であります。
先に『イントゥルーダー』を読んだのですが、登場人物がある高いランクの人々で構成され、我々庶民には遠い存在の複雑な家族関係が、いささか感情移入しにくい面があります。
それでも賞をとった作品ですので、読ませる力はあります。
本作は高嶋哲夫が専門とする原子力発電所が話題の中心であり、その建造をもくろむ政治家と電力会社、システム開発のソフトウェア会社、近隣住民、裏稼業の男たちの暗躍が、人に言えぬ秘密を持つ父子を巻き込むストーリー展開になっています。
この主人公の父子は、母親との問題で一緒に暮らせない事情があり、その親子関係も、子の方は知らない(知らないふりをしている)まま事故に遭って回復せずに息を引き取ります。
父の羽島浩司は、学生時代に同棲していた松永奈津子と関係を持ち、奈津子のほうが別の男性と出奔してしまったという経緯があった。
そのとき奈津子は妊娠しており、羽島に隠して出産したときには相手の男性に逃げられていたという。
その子が松永慎司なわけだけれど、父羽島浩司に似て、コンピューターのソフトウェアに驚異的な才能を持ち、羽島浩司もまた友人の大森と学生時代に起こしたコンピューターのベンチャー企業が当たり、倍々ゲームで会社を大きくして、今や日本のコンピューターシステム業界の最高企業にまで成長させたのでした。
羽島浩司はその会社の副社長という肩書を持ち、世間でも有名な存在であったのです。
松永慎司は成長の過程で、羽島浩司に憧れ、それが自分の実父であることなど知らずに、羽島浩司と同じ大学を目指し、自分もコンピューターエンジニアとして頭角を現すようになった。
しかし物語は松永慎司の事故死という悲劇で始まるのです。
刑事たちは、松永慎司の死を単なる事故ではなく、彼の血中から覚せい剤が検出されたことを重く見て薬物使用によるものとして事件性を問います。
慎司の背後に、反社会勢力が存在するのでは?
羽島浩司は松永慎司がその母、松永奈津子によって「あなたの子よ」と告白され、それを信じ、衝撃を受け、現在の妻と娘にも打ち明けます。
妻としては不可抗力ですから、受け入れざるを得ない。それにその「息子」は瀕死の状態だった。
不倫の末の「子」ではないのですから内心は複雑ですが、状況が状況なので夫に慎司に付き添うことを許します。
その甲斐もむなしく、松永慎司は若い命を散らしてしまう。
父、羽島浩司は息子を信じるんですね。
息子の部屋からは、まったく薬物をうかがわせるようなものはなく、羽島が著した専門書などを本棚で見つけ、息子が自分を父としてではなく、技術者として崇拝していたことに感銘を受けます。
また、羽島が帆船模型を趣味で作っているのと同じように、慎司も国産最初の旅客機YS-11の精密な手作り模型の作りかけが棚に置いてあることに血を分けた愛おしさを感じます。
だから、刑事が息子を薬物常習者あるいは「売人」であるという疑いをかけて捜査していることに反目します。
刑事は慎司の住まいを家宅捜査させろと迫りますが、羽島も奈津子も応じません。
そこに、慎司と付き合っていたという宮園理英子が現れ、彼女は息子の住まいの合鍵さえ持っていたのです。
話が進むにつれ、慎司の勤めていたソフトウェア会社で、慎司が不眠不休の勤務をしていたことがわかり、そういうプログラマは集中力を維持するために覚せい剤に手を出すことがしばしばあると刑事からも詰め寄られ、家宅捜査を強要します。
一方で、羽島浩司の会社では世界で一二を争うスーパーコンピューターが完成しつつありました。
代表者になっている友人の大森が、近く、政府の肝いりで関東電力の原発制御にこのスパコンが採用されるという好機に恵まれていると意気軒高です。
しかしながら、最後の詰めの段階で取り除けないバグが発覚し、納期に間に合わない。
同じころ、羽島は新しい原発建設予定地を訪れます。
慎司の残した遺品の中から日本海側、新潟県のある漁村に向かうのでした。
そこで原発反対派のカメラマンと出会い、原発の是非について議論する羽目に。
羽島は会社のこともあって、原発推進派に近い立場だったのです。
そのカメラマンは住民を扇動して、建設反対の勢力を大きくしているようでした。
その帰り道、ダンプカーに幅寄せされ、羽島の車は大破し、命からがら帰京するのでした。
彼は命を狙われているのです。
そして慎司もまた、無理やり覚せい剤を服用させられたのか、意識朦朧状態で二人の男に抱えられながら道路に出されたというホームレスの証言まで出てくる。
そして爆走する車にはねられて慎司は死んだのでした。
慎司の部屋が何者かに荒らされます。
彼の使っていたコンピューターは無残に破壊され、YS-11も壊されていた。
刑事は「だから先に家宅捜査をさせてくれ」と言ったのに…と、ほぞをかみます。
どうやら、慎司はあの原発について何か秘密をつかんでいたらしい。
そしてスパコンのバグ…これは誰が忍び込ませたのか?
「intruder」とは侵入者のことですからね。
近くにいる者が信じられないという、ミステリーの本懐がこの作品にあります。
やや自家撞着している部分も否めませんが、面白く読めました。
そして『富士山噴火』です。
富士山は活火山であるというのは、最近言われ出したんですね。
私の子供のころは「休火山」と本にありました。
しかしながら現在では「休火山」というカテゴリーはないのだそうです。
つまり火山には死火山か活火山しかない、
『死都日本』では姶良カルデラや霧島連峰の山体崩壊を伴う壊滅的噴火がテーマでしたが、本作では日本のシンボルである富士山を爆発させてしまうのです。
富士山が過去、何度も噴火していることは、地学書でおなじみですし、小御岳山、古富士、貞観大噴、火、宝永大噴火、安政地震などで噴火の記録があります。
万葉のころには富士山は噴煙を立ちのぼらせていたらしい。
地球の歴史からしたら、富士山はまだまだ若い、活火山であり、太平洋プレートのユーラシアプレートへの潜り込みで刺激され、マグマだまりからマグマを噴出させる可能性はかなり高いのだそうです。
それがこのお話のように山体崩壊を伴うほどの壊滅的な噴火となると、近隣住民の避難はどうなるのか?
そこが行政、自衛隊、消防、警察、諸団体、政府、気象庁と思惑が渦巻いて、なかなか緊迫感がありました。
火山の専門家である、車いすの若い女性火山博士「秋山有紀」が、生意気で鼻持ちならない強気な言動で信頼されないのですが、彼女の言っていることが一番、正しかった。
政府も行政も避難の空振り、のちの風評被害を恐れて、なかなか避難指示を出さない。
御殿場市がもっとも壊滅に追い込まれると予想されるのに、市長の黒田久美子が逡巡する。
主人公の新居見充(にいみみつる)は元自衛隊ヘリ操縦士で、この富士山噴火の前兆たる「平成南海トラフ大震災」で孤立する親子を助けた英雄だった…
彼は一等陸佐の地位にあったが、今は富士裾野の老人ホーム「ふがくの家」で職員として働いている。
彼には娘がいた。
娘の奈美恵は東京で心臓外科医として大病院に勤務しているが、充とは疎遠である。
それは、あの大震災のせいだった。
南海トラフ大震災は大きな津波を生じせしめた。
新居見の家族も津波避難タワーに登って津波をやり過ごしたかに見えた。
しかし、津波はさまざまな漂流物をタワーにぶつけ、タワーを倒してしまう。
一方でヘリ操縦士の新居見一等陸佐は別の津波避難タワーに救助に向かっていた。
そこにはやはり、倒れかけのタワーがあり、三人の親子が今にも海に落ちそうにしがみついていた。
これをみた新居見たちは親子を助けようと準備に入る。
そこへ、奈美恵からの着信があった。
充が出ると「助けて」との必死の声があった。
奈美恵と、母、そして弟の輝夫がいまにも海に落下しそうだったのだ。
しかし、現場を捨てて充が奈美恵たちを救助しに行けるはずがない。
結局、奈美恵一人が助かり、母も弟も行方知れずとなった。
反対に、三人の親子を無事助け終えた新居見一等陸佐は国民的英雄に祭り上げられ、一躍時の人となったのである。
奈美恵は、父の任務の重さを理解しつつも、自分たちを捨てたという思いが断ち切れず、父とは連絡を取らなくなってしまった。
すでに医師になっている奈美恵が、そんな狭い料簡でどうするのだ?と私などは思うのだが…
父親は、忠実に任務を遂行し、家族に後ろ髪を引かれる思いで、別の家族を助けたのだ。
その思いを、大人で、かつ医師になった娘なら、わからねばならない。
それはそれとして、この物語の見せどころは、危機が迫っているのに、遅々として進まない避難準備への焦りだろうか。
富士山はときおり、水蒸気爆発の噴煙を噴き上げ、火山性地震を有感させるものの、山体自体は優雅に構えている。
だれも危機感を持たないのだった。
危機感を持っているのは、秋山有紀とその指導教官の瀬戸口誠治博士、新居見充、その友人の新聞記者草加正太郎ぐらいのものだった。
もう一人、「ふがくの家」の利用者で83歳の老画家「延原正造」も、富士の噴火を感じていたのかもしれない。
御殿場市民の多くや、そこで観光に従事する人々は、なかなか富士山の噴火を本気にしない。
普賢岳の火砕流、有珠山の噴火、御岳山の噴火など実際の災害を例に、2015年現在の最新の火山情報を元に書かれているのも、ためになる。
かくして、黒田市長の英断までの道のりは長い。
新居見は、独自の自衛隊のコネクションを利用して、先に「ふがくの家」の避難から着手するも、スタッフなどからブーイングがでる。
寝たきり老人や、足もとのおぼつかない利用者が、たとえ「避難の空振り」であっても、けがをさせる可能性がぬぐえないので、先走った新居見の意見には、反発こそすれ賛同はしてくれない。
また御殿場市レベルとなると何万人もの避難が、いかに非現実的であることかを、この小説は読者に痛感させる。
はたして、秋山有紀の予想通りに富士山は壊滅的な噴火を起こすのだが…そこに至るまでの長い人間ドラマに、あなたはついていけるだろうか?
私も、何度か「もうええかげんに、観念して避難したら?」と思ったりした。
それは必ず「富士山噴火」が起こることを、私が信じているからだけど。
(このまま噴火しないで物語が終わったら、そら、詐欺でしょう?)
黒田市長と対立する議会の議員たちは、黒田の英断を「愚の骨頂」だと唾棄するが、そこにタイミングよく(?)富士山が怒りの大爆発を起こし、反対派の度肝を抜くのでした。
しかし、もう避難するには、遅すぎた。なむさん…
まぁ、読んでみてください。分厚い本です。
災害パニックを扱った石黒耀の『死都日本』に続いて、高嶋哲夫の『富士山噴火』そして、同人のサスペンス小説『イントゥルーダー』を読みました。

高嶋哲夫氏は1949年生まれの70歳で慶応大学工学部を卒業され、同大学院修士課程修了という高学歴の理系小説家であります。
作家になる前には日本原子力研究所に勤務し、そののちにカリフォルニア大学に留学されてもいます。、
『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞(第16回)を受賞し、2015年には『富士山噴火』を上梓されるわけです。
理系作家として石黒耀氏と比肩する作家ですが、高嶋氏はミステリー的な人間ドラマも書けるので、東野圭吾風なところもあるのです。
そういう点で、私は好きな作家であります。
先に『イントゥルーダー』を読んだのですが、登場人物がある高いランクの人々で構成され、我々庶民には遠い存在の複雑な家族関係が、いささか感情移入しにくい面があります。
それでも賞をとった作品ですので、読ませる力はあります。
本作は高嶋哲夫が専門とする原子力発電所が話題の中心であり、その建造をもくろむ政治家と電力会社、システム開発のソフトウェア会社、近隣住民、裏稼業の男たちの暗躍が、人に言えぬ秘密を持つ父子を巻き込むストーリー展開になっています。
この主人公の父子は、母親との問題で一緒に暮らせない事情があり、その親子関係も、子の方は知らない(知らないふりをしている)まま事故に遭って回復せずに息を引き取ります。
父の羽島浩司は、学生時代に同棲していた松永奈津子と関係を持ち、奈津子のほうが別の男性と出奔してしまったという経緯があった。
そのとき奈津子は妊娠しており、羽島に隠して出産したときには相手の男性に逃げられていたという。
その子が松永慎司なわけだけれど、父羽島浩司に似て、コンピューターのソフトウェアに驚異的な才能を持ち、羽島浩司もまた友人の大森と学生時代に起こしたコンピューターのベンチャー企業が当たり、倍々ゲームで会社を大きくして、今や日本のコンピューターシステム業界の最高企業にまで成長させたのでした。
羽島浩司はその会社の副社長という肩書を持ち、世間でも有名な存在であったのです。
松永慎司は成長の過程で、羽島浩司に憧れ、それが自分の実父であることなど知らずに、羽島浩司と同じ大学を目指し、自分もコンピューターエンジニアとして頭角を現すようになった。
しかし物語は松永慎司の事故死という悲劇で始まるのです。
刑事たちは、松永慎司の死を単なる事故ではなく、彼の血中から覚せい剤が検出されたことを重く見て薬物使用によるものとして事件性を問います。
慎司の背後に、反社会勢力が存在するのでは?
羽島浩司は松永慎司がその母、松永奈津子によって「あなたの子よ」と告白され、それを信じ、衝撃を受け、現在の妻と娘にも打ち明けます。
妻としては不可抗力ですから、受け入れざるを得ない。それにその「息子」は瀕死の状態だった。
不倫の末の「子」ではないのですから内心は複雑ですが、状況が状況なので夫に慎司に付き添うことを許します。
その甲斐もむなしく、松永慎司は若い命を散らしてしまう。
父、羽島浩司は息子を信じるんですね。
息子の部屋からは、まったく薬物をうかがわせるようなものはなく、羽島が著した専門書などを本棚で見つけ、息子が自分を父としてではなく、技術者として崇拝していたことに感銘を受けます。
また、羽島が帆船模型を趣味で作っているのと同じように、慎司も国産最初の旅客機YS-11の精密な手作り模型の作りかけが棚に置いてあることに血を分けた愛おしさを感じます。
だから、刑事が息子を薬物常習者あるいは「売人」であるという疑いをかけて捜査していることに反目します。
刑事は慎司の住まいを家宅捜査させろと迫りますが、羽島も奈津子も応じません。
そこに、慎司と付き合っていたという宮園理英子が現れ、彼女は息子の住まいの合鍵さえ持っていたのです。
話が進むにつれ、慎司の勤めていたソフトウェア会社で、慎司が不眠不休の勤務をしていたことがわかり、そういうプログラマは集中力を維持するために覚せい剤に手を出すことがしばしばあると刑事からも詰め寄られ、家宅捜査を強要します。
一方で、羽島浩司の会社では世界で一二を争うスーパーコンピューターが完成しつつありました。
代表者になっている友人の大森が、近く、政府の肝いりで関東電力の原発制御にこのスパコンが採用されるという好機に恵まれていると意気軒高です。
しかしながら、最後の詰めの段階で取り除けないバグが発覚し、納期に間に合わない。
同じころ、羽島は新しい原発建設予定地を訪れます。
慎司の残した遺品の中から日本海側、新潟県のある漁村に向かうのでした。
そこで原発反対派のカメラマンと出会い、原発の是非について議論する羽目に。
羽島は会社のこともあって、原発推進派に近い立場だったのです。
そのカメラマンは住民を扇動して、建設反対の勢力を大きくしているようでした。
その帰り道、ダンプカーに幅寄せされ、羽島の車は大破し、命からがら帰京するのでした。
彼は命を狙われているのです。
そして慎司もまた、無理やり覚せい剤を服用させられたのか、意識朦朧状態で二人の男に抱えられながら道路に出されたというホームレスの証言まで出てくる。
そして爆走する車にはねられて慎司は死んだのでした。
慎司の部屋が何者かに荒らされます。
彼の使っていたコンピューターは無残に破壊され、YS-11も壊されていた。
刑事は「だから先に家宅捜査をさせてくれ」と言ったのに…と、ほぞをかみます。
どうやら、慎司はあの原発について何か秘密をつかんでいたらしい。
そしてスパコンのバグ…これは誰が忍び込ませたのか?
「intruder」とは侵入者のことですからね。
近くにいる者が信じられないという、ミステリーの本懐がこの作品にあります。
やや自家撞着している部分も否めませんが、面白く読めました。
そして『富士山噴火』です。
富士山は活火山であるというのは、最近言われ出したんですね。
私の子供のころは「休火山」と本にありました。
しかしながら現在では「休火山」というカテゴリーはないのだそうです。
つまり火山には死火山か活火山しかない、
『死都日本』では姶良カルデラや霧島連峰の山体崩壊を伴う壊滅的噴火がテーマでしたが、本作では日本のシンボルである富士山を爆発させてしまうのです。
富士山が過去、何度も噴火していることは、地学書でおなじみですし、小御岳山、古富士、貞観大噴、火、宝永大噴火、安政地震などで噴火の記録があります。
万葉のころには富士山は噴煙を立ちのぼらせていたらしい。
地球の歴史からしたら、富士山はまだまだ若い、活火山であり、太平洋プレートのユーラシアプレートへの潜り込みで刺激され、マグマだまりからマグマを噴出させる可能性はかなり高いのだそうです。
それがこのお話のように山体崩壊を伴うほどの壊滅的な噴火となると、近隣住民の避難はどうなるのか?
そこが行政、自衛隊、消防、警察、諸団体、政府、気象庁と思惑が渦巻いて、なかなか緊迫感がありました。
火山の専門家である、車いすの若い女性火山博士「秋山有紀」が、生意気で鼻持ちならない強気な言動で信頼されないのですが、彼女の言っていることが一番、正しかった。
政府も行政も避難の空振り、のちの風評被害を恐れて、なかなか避難指示を出さない。
御殿場市がもっとも壊滅に追い込まれると予想されるのに、市長の黒田久美子が逡巡する。
主人公の新居見充(にいみみつる)は元自衛隊ヘリ操縦士で、この富士山噴火の前兆たる「平成南海トラフ大震災」で孤立する親子を助けた英雄だった…
彼は一等陸佐の地位にあったが、今は富士裾野の老人ホーム「ふがくの家」で職員として働いている。
彼には娘がいた。
娘の奈美恵は東京で心臓外科医として大病院に勤務しているが、充とは疎遠である。
それは、あの大震災のせいだった。
南海トラフ大震災は大きな津波を生じせしめた。
新居見の家族も津波避難タワーに登って津波をやり過ごしたかに見えた。
しかし、津波はさまざまな漂流物をタワーにぶつけ、タワーを倒してしまう。
一方でヘリ操縦士の新居見一等陸佐は別の津波避難タワーに救助に向かっていた。
そこにはやはり、倒れかけのタワーがあり、三人の親子が今にも海に落ちそうにしがみついていた。
これをみた新居見たちは親子を助けようと準備に入る。
そこへ、奈美恵からの着信があった。
充が出ると「助けて」との必死の声があった。
奈美恵と、母、そして弟の輝夫がいまにも海に落下しそうだったのだ。
しかし、現場を捨てて充が奈美恵たちを救助しに行けるはずがない。
結局、奈美恵一人が助かり、母も弟も行方知れずとなった。
反対に、三人の親子を無事助け終えた新居見一等陸佐は国民的英雄に祭り上げられ、一躍時の人となったのである。
奈美恵は、父の任務の重さを理解しつつも、自分たちを捨てたという思いが断ち切れず、父とは連絡を取らなくなってしまった。
すでに医師になっている奈美恵が、そんな狭い料簡でどうするのだ?と私などは思うのだが…
父親は、忠実に任務を遂行し、家族に後ろ髪を引かれる思いで、別の家族を助けたのだ。
その思いを、大人で、かつ医師になった娘なら、わからねばならない。
それはそれとして、この物語の見せどころは、危機が迫っているのに、遅々として進まない避難準備への焦りだろうか。
富士山はときおり、水蒸気爆発の噴煙を噴き上げ、火山性地震を有感させるものの、山体自体は優雅に構えている。
だれも危機感を持たないのだった。
危機感を持っているのは、秋山有紀とその指導教官の瀬戸口誠治博士、新居見充、その友人の新聞記者草加正太郎ぐらいのものだった。
もう一人、「ふがくの家」の利用者で83歳の老画家「延原正造」も、富士の噴火を感じていたのかもしれない。
御殿場市民の多くや、そこで観光に従事する人々は、なかなか富士山の噴火を本気にしない。
普賢岳の火砕流、有珠山の噴火、御岳山の噴火など実際の災害を例に、2015年現在の最新の火山情報を元に書かれているのも、ためになる。
かくして、黒田市長の英断までの道のりは長い。
新居見は、独自の自衛隊のコネクションを利用して、先に「ふがくの家」の避難から着手するも、スタッフなどからブーイングがでる。
寝たきり老人や、足もとのおぼつかない利用者が、たとえ「避難の空振り」であっても、けがをさせる可能性がぬぐえないので、先走った新居見の意見には、反発こそすれ賛同はしてくれない。
また御殿場市レベルとなると何万人もの避難が、いかに非現実的であることかを、この小説は読者に痛感させる。
はたして、秋山有紀の予想通りに富士山は壊滅的な噴火を起こすのだが…そこに至るまでの長い人間ドラマに、あなたはついていけるだろうか?
私も、何度か「もうええかげんに、観念して避難したら?」と思ったりした。
それは必ず「富士山噴火」が起こることを、私が信じているからだけど。
(このまま噴火しないで物語が終わったら、そら、詐欺でしょう?)
黒田市長と対立する議会の議員たちは、黒田の英断を「愚の骨頂」だと唾棄するが、そこにタイミングよく(?)富士山が怒りの大爆発を起こし、反対派の度肝を抜くのでした。
しかし、もう避難するには、遅すぎた。なむさん…
まぁ、読んでみてください。分厚い本です。