私は、化学者ですので経済学についてはド素人です。
そうはいっても生活がかかっていますので、経済の話は読んだり聞いたりして興味はあります。
しかしながら「カネもうけ」の話には一切、興味がありません。
投資だの、お金に働いてもらうだの、そういうことを世間ではうるさいくらいに聞きますが、どうも信用しない。
育った環境が、あまり裕福ではなかったこともあるでしょう。
大阪で育ち、大阪の人はお金に細かいみたいなことを言われるにつけ「そんなことあるけぇ」と突っぱねてました。
「ドケチ」だと言われますが、そんなことないですよ。大阪では。
もったいないからとか、めんどくさいから、あんまり新品を買わないだけです。
確かに、新しい家電なんかには飛びつくのが大阪人でもあります。
そういうところはラテン系だなと思います。
お金もないのに、カラーテレビを月賦で買ったり。
月賦ってわかります?ローンですよ。つまりは。
こういう個人の消費活動がマクロ経済を動かしているのか?
そう浅薄な私などは思うのですが、フリードマンの『選択の自由』などを読むと、金融の世界と、下々の世界は別世界のようだ。
反ケインズのフリードマンですから、ニューディール政策なんてのは「貧乏人に小金を持たせるだけ」だと手厳しい。
ケインズは高校でも習う経済学者であり、公共事業を政府が興して、とにかく金を下に流すんだという考えを唱えた人です。
私は、大学のころにマルクスの『資本論』に傾斜していたもので、ケインズの考え方にも賛同していました。
しかし、反共派のフリードマンも知らねばならないと、当時ベストセラーだった『選択の自由』を手に取ったわけです。
アメリカは、自由経済主義を推し進めて「マネタリスト」が経済政策を牛耳ってきました。
ロナルド・レーガンなんかが典型です。
「小さい政府」とはまさに「マネタリスト」の考えです。
日本も遅ればせながら小泉改革によって「小さい政府」に傾斜していきます。
そのころから、日本の伝統的な雇用であった「終身雇用制」が崩れ、自由な働き方を容認する「派遣労働者」が日本の労働人口の多くを占めるようになった。
資本家からすれば、「雇止め」しやすい労働力であり、不景気の時には簡単に「首切り」ができると請け合いになります。
一方で、マクロ経済は何をやっていたのか?
金融政策はゼロ金利となり、経済は破綻寸前でした。
マネタリズムは、どうやら誤りであったようだ。
そういう誤りはマルクス主義にもあって、修正が何度も加えられてきたけれど、自由主義経済には勝てなかった。
なんとなれば、人々はもっと稼いで幸せになりたいからだ。
この自明の理が、ML派にはわからなかった。
自由主義にしてもケインズの方法なら政府主導で、カネを下々に流せるではないか?
しかし汚職と談合を産んだだけで、日本では田中角栄とともに敗れ去った。
マクロ経済と家計はかくも乖離して現在に至っています。
自由主義経済は、あらゆる垣根を取り去って、自由に経済競争ができるのですが、新たな格差社会を生み出しました。
共産主義は潰えたが、自由主義経済もまた風前の灯火なのです。
右肩上がりの経済を望むあまり、環境は破壊され、発展途上国への搾取は相変わらず残り、そこかしこに貧困問題が噴き出ている。
多数の貧困層に支えられて、富裕層が生きている現実を見てほしいのです。
こんなことを言うと「また共産主義か」と言われそうですが、マルクスの共産主義は破綻したのです。
それは自明だ。
私は、新たに、人と人のつながりを重視した共栄の社会こそが必要だと思います。
マクロ経済学などというのは、投資家の経済学であり、国家単位の経済学です。
もちろん市井の人々の生活の集まりが経済を推し進めているという一面はありますが、やはりマネタリズムは、国家間で動く塊のカネ、つまり印刷されてそのまま市井に落ちないカネで動く経済なんですよ。
個人消費がどうだとか言いますが、そんなものでマクロ経済が左右されるわけがない。
アベノミクスの恩恵が下にまで滴り落ちないからくりがここにあります。
底辺の人の使うカネと、国や機関投資家が動かすカネは違うのだと思っています。
血税の一滴が、湯水のごとく流れる金融で無色になるまで薄まってしまいます。
安いジョニ赤を舐めながら書いてるととりとめなくなりますね。
もう寝ます。
そうはいっても生活がかかっていますので、経済の話は読んだり聞いたりして興味はあります。
しかしながら「カネもうけ」の話には一切、興味がありません。
投資だの、お金に働いてもらうだの、そういうことを世間ではうるさいくらいに聞きますが、どうも信用しない。
育った環境が、あまり裕福ではなかったこともあるでしょう。
大阪で育ち、大阪の人はお金に細かいみたいなことを言われるにつけ「そんなことあるけぇ」と突っぱねてました。
「ドケチ」だと言われますが、そんなことないですよ。大阪では。
もったいないからとか、めんどくさいから、あんまり新品を買わないだけです。
確かに、新しい家電なんかには飛びつくのが大阪人でもあります。
そういうところはラテン系だなと思います。
お金もないのに、カラーテレビを月賦で買ったり。
月賦ってわかります?ローンですよ。つまりは。
こういう個人の消費活動がマクロ経済を動かしているのか?
そう浅薄な私などは思うのですが、フリードマンの『選択の自由』などを読むと、金融の世界と、下々の世界は別世界のようだ。
反ケインズのフリードマンですから、ニューディール政策なんてのは「貧乏人に小金を持たせるだけ」だと手厳しい。
ケインズは高校でも習う経済学者であり、公共事業を政府が興して、とにかく金を下に流すんだという考えを唱えた人です。
私は、大学のころにマルクスの『資本論』に傾斜していたもので、ケインズの考え方にも賛同していました。
しかし、反共派のフリードマンも知らねばならないと、当時ベストセラーだった『選択の自由』を手に取ったわけです。
アメリカは、自由経済主義を推し進めて「マネタリスト」が経済政策を牛耳ってきました。
ロナルド・レーガンなんかが典型です。
「小さい政府」とはまさに「マネタリスト」の考えです。
日本も遅ればせながら小泉改革によって「小さい政府」に傾斜していきます。
そのころから、日本の伝統的な雇用であった「終身雇用制」が崩れ、自由な働き方を容認する「派遣労働者」が日本の労働人口の多くを占めるようになった。
資本家からすれば、「雇止め」しやすい労働力であり、不景気の時には簡単に「首切り」ができると請け合いになります。
一方で、マクロ経済は何をやっていたのか?
金融政策はゼロ金利となり、経済は破綻寸前でした。
マネタリズムは、どうやら誤りであったようだ。
そういう誤りはマルクス主義にもあって、修正が何度も加えられてきたけれど、自由主義経済には勝てなかった。
なんとなれば、人々はもっと稼いで幸せになりたいからだ。
この自明の理が、ML派にはわからなかった。
自由主義にしてもケインズの方法なら政府主導で、カネを下々に流せるではないか?
しかし汚職と談合を産んだだけで、日本では田中角栄とともに敗れ去った。
マクロ経済と家計はかくも乖離して現在に至っています。
自由主義経済は、あらゆる垣根を取り去って、自由に経済競争ができるのですが、新たな格差社会を生み出しました。
共産主義は潰えたが、自由主義経済もまた風前の灯火なのです。
右肩上がりの経済を望むあまり、環境は破壊され、発展途上国への搾取は相変わらず残り、そこかしこに貧困問題が噴き出ている。
多数の貧困層に支えられて、富裕層が生きている現実を見てほしいのです。
こんなことを言うと「また共産主義か」と言われそうですが、マルクスの共産主義は破綻したのです。
それは自明だ。
私は、新たに、人と人のつながりを重視した共栄の社会こそが必要だと思います。
マクロ経済学などというのは、投資家の経済学であり、国家単位の経済学です。
もちろん市井の人々の生活の集まりが経済を推し進めているという一面はありますが、やはりマネタリズムは、国家間で動く塊のカネ、つまり印刷されてそのまま市井に落ちないカネで動く経済なんですよ。
個人消費がどうだとか言いますが、そんなものでマクロ経済が左右されるわけがない。
アベノミクスの恩恵が下にまで滴り落ちないからくりがここにあります。
底辺の人の使うカネと、国や機関投資家が動かすカネは違うのだと思っています。
血税の一滴が、湯水のごとく流れる金融で無色になるまで薄まってしまいます。
安いジョニ赤を舐めながら書いてるととりとめなくなりますね。
もう寝ます。