ルドルフとイッパイアッテナ』は斉藤洋原作児童文学のCGアニメ化で、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞(第40回)を受賞した作品です。
ルドルフとイッパイアッテナ

私は、講談社の原作本を塾で読み聞かせをしたことがあって、とても児童に好評だったのを覚えています。
子供向けと一言で片づけてはいけない作品で、大人にとっても示唆に富んだ佳作です。
原作の挿絵は杉浦範茂氏で、絵本の世界では著名な画家です。
ルドルフとイッパイアッテナ本

アニメ版のキャラクターデザインは、まったく新たに企画されたものですので、杉浦氏の絵とは異なります。
今回、Amazonプライムで配信されていたので、じっくり鑑賞させていただきました。

この幼い黒猫「ルドルフ」が主人公のお話には、児童文学では続編があり、本アニメも続編が期待されるのですが、今のところどうなるのか不明です。

「イッパイアッテナ」というのは、ルドルフが迷子になった末に、東京の下町で出会うボスネコの名前です。
実は、その由来にはわけがあり、イッパイアッテナ自身は野良猫だから、町内の人々に「トラ」だの「ボス」だの好き放題に呼ばれていて、それは彼自身も何とでも呼ばれれば返事をして、ご飯にありつける野良の処世術によるもので、彼に決まった名はないのです。
そのことを、ルドルフに説明するのもやっかいなので「イッパイアッテナ…」と答えに窮したところ、ルドルフはそれが彼の名前だと思い込んでしまったのです。

ルドルフはエリちゃんという女の子の飼い猫でしたが、ある春の日にエリちゃんの外出について行きたくて家を飛び出してしまいます。
どうやら岐阜城下の街のようです。

ところで、このお話の舞台は東京は江戸川区の下町なんですよ。
イッパイアッテナが君臨する下町界隈と岐阜のルドルフがどうして出会うのか?
そこは、映画を見てください。
ふつう、猫にとって、もう戻れないほどの距離を移動してしまったルドルフの運命やいかに?

このお話を通底している思想は「教養をもつこと」なんです。
「ネコが?」とお思いの方はぜひネコの話ではなく、私たち人間に置き換えて考えてみてください。
生きていくためには「腕っぷし」や「運」だけでは足りない。
そこには情報を得て使うために「人間の言葉を理解する」ことから始めよとイッパイアッテナがルドルフに教えます。
なんと、すでに文字を覚えているイッパイアッテナは、本を読むことの大切さをルドルフに教え、それが「教養」であり、無駄な争いを避け、最短で確実に夢をかなえる方法だと諭(さと)します。
野良猫が食べ物を得て雨露をしのぎ、力強く生きていくには「教養」が必要なのだと。

もはや猫の物語ではないのです。
人生訓とか、処世術とか、そういうたぐいの熱い物語になっています。
江戸川区からルドルフは、エリちゃんのいる岐阜城下に帰らねばならない。
あのルドルフの脳裏に残る、山の上の城が「岐阜城」であることが、イッパイアッテナの教養主義によって明らかになるのです。
そして江戸川区からそこに戻るには、並大抵の方法では無理と悟ります。
しかしそこで諦めていては、希望はありません。
頭で考えて行動することを、ルドルフはイッパイアッテナから教わるのです。

イッパイアッテナもかつては飼い猫だった。
そこで飼い主の男性から人間の文字を教わっていた(いささか、変な飼い主だった)。
その飼い主がアメリカに行ってしまい、イッパイアッテナは置き去りにされてしまった過去を持つのです。

強いだけでは生きていけない。
情報や知識をうまく使った者が、幸運を引き寄せて生き延びることができる。
ルドルフもイッパイアッテナも人間社会のはざまで生きていますから、その情報源は人間の文字であり、本であるわけです。
幸い、日ごろから、クマ先生に好かれて小学校に出入りをさせてもらっているイッパイアッテナは、ルドルフを学級文庫や図書室に導いて、日本語や地理を教えるのでした。

私はこの物語を鑑賞して、ショーペンハウアーの『読書について』という著作を思い出しました。
ショーペンハウアーは読書の功罪をこの著作で説きました。
本を読むことは大事だが、それだけで終わっていてはいけないというのです。
本はその著者と読者をつなぐ窓口であり、そこから得られた知識はそのままでは生かされない。
読書からいったん離れて、実社会や自然界に船出して、自ら得た知識を使ってこそ、人は大きく成長するのだと。
ショーペンハウアーは何も読書が無駄だとは言っていません。
多くの本好き、読書家に対して警鐘を鳴らしているのです。
本を読んだだけで済まさないことを。
そのためには、まず本を読まねばなりません。

さて、ルドルフはイッパイアッテナから教示を受けつつ、エリちゃんのいる岐阜県に帰る方法をいろいろ模索します。
岐阜方面に行く車を見つけること。
高速道路が早くて確実であること。
乗り継ぎする車はナンバープレートを読んで選ぶこと。
岐阜までのさまざまな地名を覚えること。
そしてどんな結果が待ち受けていても、受け入れること。

決してハッピーエンドではありません。
そこが、単なる児童文学ではないと思うのです。
それでも前を向いて、仲間と一緒なら歩いて行けることをこの物語は伝えてくれるのです。

最後に、このアニメを勧めてくださった、当ブログの読者であるプリン閣下に感謝いたします。