私の蔵書が家を潰しかねないので、段ボール箱から出さないにしても、そこに何が入っているのかを分類して「見える化」しておかないと、私が死んだ後に困る人がでてくるかもしれない。

また、そのためには一度なりとも読まねばならない。

これから、命尽きるまでに終えられるよう、本を読んで分類することに時間を費やしていこうと思う。
ゆえに、あまりブログに時間を割けないので、開店休業になるかもしれない。

NDC(日本十進分類法)という図書館で働いている人ならおなじみの分類を「海図」として本の海に船出するのである。

NDCは0~9の大分類に本を分けていき、中分類、小分類と細分されて本が特定されるようになっている。図書館では本を収める書棚への指針になる。
整理する者も、本を探す者も同じ指針で本にたどり着けるわけだ。

しかしながら、図書館でもおかしなところに本が分類されていることが、ままある。
その本を読んでおれば、分類を間違わないだろうと思うのだが、ただ作家の名前を頼りに分類すると、NDCの通りにならないことがあるのだ。

たとえば『堕落論』(坂口安吾)がよく間違われて分類されているようだ。
坂口安吾が小説家であるからと、『堕落論』が「913」の「日本文学-小説」に割り振られているのだった。
一度でも『堕落論』を読んだ者なら、これが「914」の「日本文学-随筆・評論」に分類されるべきであることを知っている。
このように、本を分類するためには少なくともその本を読んでおかねばならないのである。
分類に自信がなくても、主だった図書館のホームページにアクセスして書名で検索すれば、司書がつけた分類に到達するので、そこは利用した方が良い。特に最初の3桁は素人でも分類できても、補助数といってコンマ以下の小さな分類は我々には無理だからだ。

個人宅の場合、置ける書棚も限られ、だいたいは段ボール箱に詰められるなどして、閑却されているはずだ。
たとえそうであっても、段ボール箱の外側に何が入っているかを表示できれば、立派な書庫となるはずなのだ。

ゆえに、本を読んでNDC分類をして決められた箱に収めるということを、時間がかかってもやっておくべきだろう。

これから私は、自分のために本を読むことになり、だれかにお勧めしたり、感想を書いたりすることはないだろう。
それに、この分類は紙で残し、電子化はしない。
梅棹忠夫先生発案の「京大式カード」をAmazonで買って、これで分類していくつもりだ。

それでも、分類と整理はまた異なるので、その方法も考えなければならない。