面白い出会いがあった
先週の土曜日のことである
亡き夫への同窓会に私が招待されたのだ
幹事のK氏を除いて誰一人、私は面識がないのである
なのにとても暖かく迎え入れてもらって、楽しいひと時を過ごしたのだった

学生時代の夫のことなど、初めて聞くことばかりで、なんと私たち夫婦は自分の過去の事に互いに触れなかったのだろうと、いまさらながら悔やまれたけれど、この機会にたっぷりと思い出話を聞くことができた

みなさんは夫と同い年なのでもう七十歳を過ぎて、それでも若々しかった
私も老け込んではいられないと思った

お金や健康の心配は尽きないのだろうが、みんな笑い飛ばしている
心配してもしかたがないのだ

すると、熊谷守一(くまがいもりかず:1880~1977)の生きざまを思い出した
貧窮生活をものともせず(いや、本人は気にしていたらしいが)生活に追われつつも画業にいそしんだ無頼派の画家だ
自然に目を向け、ありのままをとらえる姿勢は私に、絵だけではなく生き方までも示唆を与えた
自伝「へたも絵のうち」は優しい語り口で半生をつまびらかにおしえてくれる

画家ではあるが、物の仕組みに興味を持ち、時計を修理したり、電車の構造を調べたりとなかなか理系の人なのだった
音の伝わり方、聞こえ方を不思議に思った熊谷は物理学者ヘルムホルツの専門書をひも解いたりしているのである

真理を考えると、どんどんあいまいになり、素粒子と私たちの世界の溝の深さに唖然とする
本当にこの世は、私が見ている世界と同じものなのだろうか?
原子・分子の世界と、手のひらの小石がとても同じものだとは思えなくなってきた
確かに化学を専攻したのだが、この年齢でまた疑い始めるのである
宇宙の深遠な世界も、浄土もなにもかも信じられなくなった
私が生きていること自体が、ふわふわと得体のしれない現象なのだと

何かをなしてもそれは夢うつつのことのように思えるのである

生きていることは、現実ではないのかもしれない