デジタル社会から一定の距離を置く人々が、ひそかに増えているように思う
私もその一人だが

デジタルに疲れ、情報に支配され、人生の多くを無駄にしたと後悔し始めた人々が増えつつあるのだろう

私が勝手にアナログ回帰者を四つのカテゴリーに分類してみた

①ノスタルジーを感じる高齢者
 わたしは昭和生まれだから、まさにこのカテゴリーに属するがそれだけではない

②レトロな世界への憧れを感じる若い世代
 明治の文豪の世界、大正ロマン、昭和の高度成長期からバブル経済までの高揚
 ジブリの世界観、スチームパンク趣味
 レコード盤、真空管アンプ、カセットテープ、ラジオ、フィルム写真など、デジタルにないある種の粗さに好感を抱く向き
 
③体験を重んじる人々
 スポーツやボードゲームやカードゲームでのリアルな対戦で築く人間関係
 手で描く、手で書く、文具趣味から絵画、文芸への展開と発表による承認要求
 そこにはオリジナリティ追求、自由、デジタル呪縛からの解放が見て取れる
 もっと進んで田舎暮らしをし、不自由を楽しむ人たちも少なくない
 人間らしさ、自然の大切さ、「足るを知る」など低コストな生活スタイルを追うのは、昨今の不景気や社会不安と無関係ではあるまい

④自分で考えることに目覚めた人々
 精神的な人々の成熟として、学び直しが注目されている
 義務教育で学んだことなど役に立たないと突っぱねていた学生時代の自分が社会に出て感じるのは「もっと学んでおけばよかった」という後悔だ
 数学や科学的探究、つまり好奇心の純粋な発露を年老いた今になって求めたい衝動に駆られるのは私だけだろうか?
 客観的視座、理性がこの歳になてやっとわかりかけたからこそ、もう一度疑問に向き合いたい。本を読みたいと思うのである。それは認知症に対する不安、デジタルに頼りすぎて脳が衰えているのではないかという漠然とした不安から脳トレにすがるようにアナログへの回帰を求めるのではないかとも思うのだ

かつて柳宗悦による民芸運動があった
「用の美」を探し出し、世に知らしめる彼の活動は、バーナード・リーチら陶芸作家の賛同を得、消費から物語へと物の見方、審美眼を変革させた
 千利休が始めた「わび茶」文化を源に持つ「用の美」はこんにちの「百均」では得られない感覚である

名もなき工人が作った茶碗のなかに見た美の世界、陶器市が今も盛況なのは、そういった心が人々の中に深く根付いているからにちがいない