あの東日本大震災から10年が経とうとしている。
津波の恐ろしさを目の当たりにした、あの日である。
原子力発電所も、あえなく津波に屈した。
ひどい震災だった。
TSUNAMI
世界中でこの言葉が使われている。
昨今「マネジメント」という語を聞かない日はない。
狭義には「経営」という意味だったが、今はかなり広い意味で「管理」と訳されている。
「マネージャー」は「管理者」である。
運動部の「マネージャー」は部員の健康管理から遠征手配、道具の管理まで幅広くおこなうそうだ。
芸能人の「マネージャー」も芸人の仕事の手はずから、仕事を取ってくることまでやらされ、カバン持ちだけでなく、時には芸人を支配するまで「偉く」なる人もいるらしい。そういえば、支配人を英語ではマネージャーと言わなかったか?
震災とマネジメントもよく取り上げられる。
防災マネジメントやクライシスマネジメント、リスクマネジメントである。
「クライシス」は「危機」のことであるから「危機管理」と言われれば納得するのだが、横文字好きの人々には「クライシスマネジメント」のほうが聞こえがいいのかもしれない。
じゃあ「クライシス」と「リスク」ではどんだけ中身が違うのか?
「リスクマネジメント」は、日常の些末な「問題」や「厄介ごと」も含めた回避術のことであり、「クライシス」と大げさに構えるようなものではないのだそうだ。
会社を経営している人なら、人事の上での人権問題や、労働問題、はたまた顧客とのトラブル、品質管理問題から協力会社とのもたれ合いのいざこざ、契約問題などさまざまな「困りごと」があるだろう。
そういうことを普段から「回避」する方策をあらかじめ整えておくことが「リスクマネジメント」そのものである。
弁護士や裁判所のお世話になる前に、日ごろから身辺をきれいにしておくことがリスクマネジメントにほかならない。
震災の話からそれてしまったが、クライシスマネジメントはまさに自然災害や感染症流行にこそ必要な「とるべき手段」なのである。
クライシスマネジメントでは災害が想定されているので「初動対応(初期対応)」と「二次対応(回復対応)」に行動が大別されている。
もっとも、災害が起こる前の準備対応があって初めて「初動」も「二次」も意味あるものになるのだが。
寺田寅彦が言ったかどうか知らないが「天災はわすれたころにやってくる」という有名な言葉がある通り、二の舞を演じないように体制を整えておくが肝要なのだ。
たとえばクライシスマネジメントの第一人者の西條剛央は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を発災直後に立ち上げ、ボランティア活動に尽力した。
彼は「本質行動学」という理論を実践した、経済学者でもある。
「本質行動学」とは「構造構成主義」から導かれる理論で、人間が陥りやすい「信じること」、「常識にとらわれること」、「刷り込み」からの脱却を旨としている試みである。
フッサールやソシュールの考え方が根本にあり、修正を加えたものと言われている。
ポスト構造主義の潮流の先にあるものと考えてよいのかもしれない。
西條は石巻市の大川小学校の悲劇を例に、なぜあのとき裏山の高台に生徒たちを避難させられなかったのか?を考え続けた。
子供たちを失った親たちは大川小学校の落ち度を非難し、最高裁にまでもつれ込んだのである。
最高裁は教育行政の「組織的欠陥」を認定したものの、行政の対応への遺族の不信感は募ったままだったのである。
大川小学校では「クライシスマネジメント」が欠落していたと西條が指摘する。
津波からの避難について「近くの公園や空き地に避難すること」しか決められておらず、その「公園や空き地」についても具体的な場所を指定していなかった。
教諭らは、発災直後、学童を校庭に座らせて地震の揺れから守ろうとしたものの、そこから先の行動は何もとらず、学童を50分もの間、校庭に待機させたままだったという。
そこに津波が襲ってきたのだった。まさに手遅れの最たるものだった。
これを人災と呼ばずして、なんとしよう?
この地には古来より津波から命を守る「つなみてんでんこ」の言い伝えがあったはずだ。
津波が来るとわかれば、なによりも走って高台に逃げよ。
親も、子も、とにかく自分だけでも走って逃げよ。
まったくそれが生かされなかったことに西條は人間の心理に潜む「刷り込み」、「希望的観測の罠」を見出したのだった。
もはや、大川小学校の落ち度をほじくり返しても何も建設的なものは生まれてこないし、失われた命はもどらないのだ。
人間の行動を観察し、知ることによって、未曽有の災害から少しでも命を救うことができたら…そういう考えから西條の「本質行動学」が生まれた。
先の大戦の失敗から学ぶ『失敗の本質』(中公文庫)も同じ立場の著作である。
人は誤りやすい動物である。
なぜ誤りやすいのかを深堀りすることで見えてくる「自分」があるはずだ。
津波の恐ろしさを目の当たりにした、あの日である。
原子力発電所も、あえなく津波に屈した。
ひどい震災だった。
TSUNAMI
世界中でこの言葉が使われている。
昨今「マネジメント」という語を聞かない日はない。
狭義には「経営」という意味だったが、今はかなり広い意味で「管理」と訳されている。
「マネージャー」は「管理者」である。
運動部の「マネージャー」は部員の健康管理から遠征手配、道具の管理まで幅広くおこなうそうだ。
芸能人の「マネージャー」も芸人の仕事の手はずから、仕事を取ってくることまでやらされ、カバン持ちだけでなく、時には芸人を支配するまで「偉く」なる人もいるらしい。そういえば、支配人を英語ではマネージャーと言わなかったか?
震災とマネジメントもよく取り上げられる。
防災マネジメントやクライシスマネジメント、リスクマネジメントである。
「クライシス」は「危機」のことであるから「危機管理」と言われれば納得するのだが、横文字好きの人々には「クライシスマネジメント」のほうが聞こえがいいのかもしれない。
じゃあ「クライシス」と「リスク」ではどんだけ中身が違うのか?
「リスクマネジメント」は、日常の些末な「問題」や「厄介ごと」も含めた回避術のことであり、「クライシス」と大げさに構えるようなものではないのだそうだ。
会社を経営している人なら、人事の上での人権問題や、労働問題、はたまた顧客とのトラブル、品質管理問題から協力会社とのもたれ合いのいざこざ、契約問題などさまざまな「困りごと」があるだろう。
そういうことを普段から「回避」する方策をあらかじめ整えておくことが「リスクマネジメント」そのものである。
弁護士や裁判所のお世話になる前に、日ごろから身辺をきれいにしておくことがリスクマネジメントにほかならない。
震災の話からそれてしまったが、クライシスマネジメントはまさに自然災害や感染症流行にこそ必要な「とるべき手段」なのである。
クライシスマネジメントでは災害が想定されているので「初動対応(初期対応)」と「二次対応(回復対応)」に行動が大別されている。
もっとも、災害が起こる前の準備対応があって初めて「初動」も「二次」も意味あるものになるのだが。
寺田寅彦が言ったかどうか知らないが「天災はわすれたころにやってくる」という有名な言葉がある通り、二の舞を演じないように体制を整えておくが肝要なのだ。
たとえばクライシスマネジメントの第一人者の西條剛央は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を発災直後に立ち上げ、ボランティア活動に尽力した。
彼は「本質行動学」という理論を実践した、経済学者でもある。
「本質行動学」とは「構造構成主義」から導かれる理論で、人間が陥りやすい「信じること」、「常識にとらわれること」、「刷り込み」からの脱却を旨としている試みである。
フッサールやソシュールの考え方が根本にあり、修正を加えたものと言われている。
ポスト構造主義の潮流の先にあるものと考えてよいのかもしれない。
西條は石巻市の大川小学校の悲劇を例に、なぜあのとき裏山の高台に生徒たちを避難させられなかったのか?を考え続けた。
子供たちを失った親たちは大川小学校の落ち度を非難し、最高裁にまでもつれ込んだのである。
最高裁は教育行政の「組織的欠陥」を認定したものの、行政の対応への遺族の不信感は募ったままだったのである。
大川小学校では「クライシスマネジメント」が欠落していたと西條が指摘する。
津波からの避難について「近くの公園や空き地に避難すること」しか決められておらず、その「公園や空き地」についても具体的な場所を指定していなかった。
教諭らは、発災直後、学童を校庭に座らせて地震の揺れから守ろうとしたものの、そこから先の行動は何もとらず、学童を50分もの間、校庭に待機させたままだったという。
そこに津波が襲ってきたのだった。まさに手遅れの最たるものだった。
これを人災と呼ばずして、なんとしよう?
この地には古来より津波から命を守る「つなみてんでんこ」の言い伝えがあったはずだ。
津波が来るとわかれば、なによりも走って高台に逃げよ。
親も、子も、とにかく自分だけでも走って逃げよ。
まったくそれが生かされなかったことに西條は人間の心理に潜む「刷り込み」、「希望的観測の罠」を見出したのだった。
もはや、大川小学校の落ち度をほじくり返しても何も建設的なものは生まれてこないし、失われた命はもどらないのだ。
人間の行動を観察し、知ることによって、未曽有の災害から少しでも命を救うことができたら…そういう考えから西條の「本質行動学」が生まれた。
先の大戦の失敗から学ぶ『失敗の本質』(中公文庫)も同じ立場の著作である。
人は誤りやすい動物である。
なぜ誤りやすいのかを深堀りすることで見えてくる「自分」があるはずだ。