保阪正康の『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)に瀬島龍三(1911~2007)の記載がある。
瀬島が史実を改ざんしたというのだ。
瀬島は陸軍大本営参謀としてモスクワに入って情報収集の任務などをしていたらしい。
いわゆる「クーリエ(外交伝書使)」だったのだという。
そのためなのか、シベリア抑留生活での出来事のせいか、戦後、彼が「赤スパイ」だという説が流布していた。
それを信じて疑わない人も多い(佐々淳行など)。
中曽根康弘(1918~2019)は、現在の自民党を田中角栄(1918~1993)とともに作り上げたわけだが、戦後日本の形も彼らがおおよそ作り上げたといっても言い過ぎではない。
戦後政治はGHQの間接統治と吉田茂(1878~1967)に負うところが多いが、戦争を経験し、その戦争に反対し続けた吉田たちのグループ(ヨハンセン:吉田反戦をもじった陸軍の符丁)が平和主義の理想のもとにおこなってきたからだ。
吉田は戦争が長引くと軍の内部に「赤化」がはびこると信じていた。
ゆえに、近衛文麿らに懸念を伝え、早期に戦争を終結する必要があると迫った。
※「赤化(せきか)」とは共産主義にかぶれること。「赤(あか)」とは共産主義者の隠語である。
その陰で、日本独自の憲法を頂き、独立性を高めたいと思っていた青年政治家が中曽根や田中だった。
岸信介(1896~1987)が石橋湛山(1884~1973)の後を継ぎ、池田隼人(1899~1965)が「所得倍増計画」をぶちあげて日本経済の高度成長を促し、1964年に東京五輪が開催されて、お祭りムードで60年安保闘争を終焉に導こうとし、岸の弟の佐藤栄作(1901~1975)の長期政権によって日米安保条約は確固たるものとなり、1970年の大阪万博開催によって日本の経済成長を最高点に導いて「70年安保闘争」を左派分裂に追い込んだ。
日本は完全に戦後を脱したと内外に知らしめたのであった。
その間に、中曽根康弘は選挙選を連破し続け、自由民主党の中で着々と、その地位を確固たるものにしていたのである。
巨星田中角栄首相が自身の金脈問題で国会が紛糾し、総辞職に追い込まれたのが1974年の秋だった。
中曽根康弘は通産大臣を拝命していたが、次期内閣は三木武夫(1907~1988)であり、入閣はせず幹事長を務めた。
中曽根が総理大臣になるのはそのずっとあと、鈴木善幸内閣(中曽根は行政管理庁長官)の後、鈴木総理の首班指名で中曽根総理が成立する。
鈴木氏が自民党を御しきれないところがあったのか、その理由は定かではないが総裁選出馬を自ら断念し、中曽根康弘に後を託したのだった。
第71代内閣総理大臣(1982)になった中曽根康弘が手掛けたのは、外部の識者を登用して政治に生かすことだった。
そのなかに瀬島龍三がいた。
瀬島が着手した仕事は、土光敏夫が率いる臨調のブレインとして働くことだった。
瀬島は、それまで民間企業(伊藤忠商事)の航空機部門から始まり、副社長、会長、顧問と歴任した経緯と、その間に政治家とのつながりを強めていた。
瀬島という男は、謎の多い男で、いろんな人がいろんなことを彼について語っている。
その思想の左右さえわからない男なのだ。
ただ言えることは「寝業師」であり、うまく世間を渡り歩き、人を信じさせ、あるいは恫喝し、その手腕は、やはり戦中のスパイ活動で養われたのではなかろうかと想像させる。
太平洋戦争中に大本営の作戦参謀だった瀬島は、いろんな情報を手に入れることができ、握りつぶすこともできた。
戦争末期の台湾沖空戦は海軍の失態で大敗を喫し、レイテでの決戦に迷いを生じせしめることになったのだが、その台湾沖空戦大敗を「軽微であり、むしろ米艦隊に多大な損害を与えた」という虚偽の情報にすり替えた男が瀬島だったといわれている。
「大本営発表」が「噓八百」と今も語り継がれているのは、実は瀬島の握りつぶしが原因だったと言われているのだ。
それにつき戦後、瀬島は黙して語らない。
シベリア抑留時代でも、瀬島の肩書をソ連側が重く見て利用したらしいこともあり、瀬島自身が赤化したという噂もある。
瀬島の答弁は、ところどころにごまかしがあり、真相に近づくと逃げるのである。
また、「それは通訳の誤訳だ」などとうそぶくこともあった。
東京裁判でも証人として召喚され、自身は戦犯に問われなかった。
中曽根が瀬島を重用したのは、彼が情報収集能力と分析能力に長けていたからだろう。
中曽根だけではない、永野重雄(日本商工会議所会頭)や田中角栄、宮澤喜一、福田赳夫らからも一目置かれていた。
瀬島が伊藤忠商事の航空機部門出身という経歴も、のちのロッキード疑惑に無関係とは思えない。
山崎豊子『不毛地帯』の鮫島は瀬島がモデルだという噂もあるが、山崎氏は生前にきっぱりと否定しているが怪しい。
田中角栄関係の本を読めば、瀬島があちこちに顔を出すので、無関係とするには苦しい。
瀬島は歴史を改ざんしたと言われるのも無理のないことなのかもしれない。
彼は真実を語らない男なのだった。
瀬島が史実を改ざんしたというのだ。
瀬島は陸軍大本営参謀としてモスクワに入って情報収集の任務などをしていたらしい。
いわゆる「クーリエ(外交伝書使)」だったのだという。
そのためなのか、シベリア抑留生活での出来事のせいか、戦後、彼が「赤スパイ」だという説が流布していた。
それを信じて疑わない人も多い(佐々淳行など)。
中曽根康弘(1918~2019)は、現在の自民党を田中角栄(1918~1993)とともに作り上げたわけだが、戦後日本の形も彼らがおおよそ作り上げたといっても言い過ぎではない。
戦後政治はGHQの間接統治と吉田茂(1878~1967)に負うところが多いが、戦争を経験し、その戦争に反対し続けた吉田たちのグループ(ヨハンセン:吉田反戦をもじった陸軍の符丁)が平和主義の理想のもとにおこなってきたからだ。
吉田は戦争が長引くと軍の内部に「赤化」がはびこると信じていた。
ゆえに、近衛文麿らに懸念を伝え、早期に戦争を終結する必要があると迫った。
※「赤化(せきか)」とは共産主義にかぶれること。「赤(あか)」とは共産主義者の隠語である。
その陰で、日本独自の憲法を頂き、独立性を高めたいと思っていた青年政治家が中曽根や田中だった。
岸信介(1896~1987)が石橋湛山(1884~1973)の後を継ぎ、池田隼人(1899~1965)が「所得倍増計画」をぶちあげて日本経済の高度成長を促し、1964年に東京五輪が開催されて、お祭りムードで60年安保闘争を終焉に導こうとし、岸の弟の佐藤栄作(1901~1975)の長期政権によって日米安保条約は確固たるものとなり、1970年の大阪万博開催によって日本の経済成長を最高点に導いて「70年安保闘争」を左派分裂に追い込んだ。
日本は完全に戦後を脱したと内外に知らしめたのであった。
その間に、中曽根康弘は選挙選を連破し続け、自由民主党の中で着々と、その地位を確固たるものにしていたのである。
巨星田中角栄首相が自身の金脈問題で国会が紛糾し、総辞職に追い込まれたのが1974年の秋だった。
中曽根康弘は通産大臣を拝命していたが、次期内閣は三木武夫(1907~1988)であり、入閣はせず幹事長を務めた。
中曽根が総理大臣になるのはそのずっとあと、鈴木善幸内閣(中曽根は行政管理庁長官)の後、鈴木総理の首班指名で中曽根総理が成立する。
鈴木氏が自民党を御しきれないところがあったのか、その理由は定かではないが総裁選出馬を自ら断念し、中曽根康弘に後を託したのだった。
第71代内閣総理大臣(1982)になった中曽根康弘が手掛けたのは、外部の識者を登用して政治に生かすことだった。
そのなかに瀬島龍三がいた。
瀬島が着手した仕事は、土光敏夫が率いる臨調のブレインとして働くことだった。
瀬島は、それまで民間企業(伊藤忠商事)の航空機部門から始まり、副社長、会長、顧問と歴任した経緯と、その間に政治家とのつながりを強めていた。
瀬島という男は、謎の多い男で、いろんな人がいろんなことを彼について語っている。
その思想の左右さえわからない男なのだ。
ただ言えることは「寝業師」であり、うまく世間を渡り歩き、人を信じさせ、あるいは恫喝し、その手腕は、やはり戦中のスパイ活動で養われたのではなかろうかと想像させる。
太平洋戦争中に大本営の作戦参謀だった瀬島は、いろんな情報を手に入れることができ、握りつぶすこともできた。
戦争末期の台湾沖空戦は海軍の失態で大敗を喫し、レイテでの決戦に迷いを生じせしめることになったのだが、その台湾沖空戦大敗を「軽微であり、むしろ米艦隊に多大な損害を与えた」という虚偽の情報にすり替えた男が瀬島だったといわれている。
「大本営発表」が「噓八百」と今も語り継がれているのは、実は瀬島の握りつぶしが原因だったと言われているのだ。
それにつき戦後、瀬島は黙して語らない。
シベリア抑留時代でも、瀬島の肩書をソ連側が重く見て利用したらしいこともあり、瀬島自身が赤化したという噂もある。
瀬島の答弁は、ところどころにごまかしがあり、真相に近づくと逃げるのである。
また、「それは通訳の誤訳だ」などとうそぶくこともあった。
東京裁判でも証人として召喚され、自身は戦犯に問われなかった。
中曽根が瀬島を重用したのは、彼が情報収集能力と分析能力に長けていたからだろう。
中曽根だけではない、永野重雄(日本商工会議所会頭)や田中角栄、宮澤喜一、福田赳夫らからも一目置かれていた。
瀬島が伊藤忠商事の航空機部門出身という経歴も、のちのロッキード疑惑に無関係とは思えない。
山崎豊子『不毛地帯』の鮫島は瀬島がモデルだという噂もあるが、山崎氏は生前にきっぱりと否定しているが怪しい。
田中角栄関係の本を読めば、瀬島があちこちに顔を出すので、無関係とするには苦しい。
瀬島は歴史を改ざんしたと言われるのも無理のないことなのかもしれない。
彼は真実を語らない男なのだった。