ほんとに技術革新に未来はあるのか?
電話がスマホになり、ガソリン車が電気自動車になり、ついにはドローンが人を運ぶというのだ。
自動運転技術がAIによって安全を先取りし、みんなが簡単に空の旅を楽しめる…


バカも休み休み言いたまえ。

道路事情も考えずに、「渋滞解消」の一環として、空間を立体的に使って移動する。

そうなれば、空が大渋滞で、「バックトゥザフューチャー」の一場面みたいになるわ。
空で事故ったら命はないし、他者を巻き込んで大ごとよ。
今の空の状態でも、航空機の超過密運航じゃないのさ。
プロのパイロットでもニアミスやバードストライク、エアポケットなどのトラブルで死ぬ思いをしているのに、にわかパイロットがやんやと空にお出ましになれば、阿鼻叫喚地獄だ。

そんなことも考えずに、夢ばかり語るのはどうかなと思う。
もはやSFでも「空を自由に飛びたいな」なんてドラえもんぐらいしか取り上げないぜ。

夢を語るなとは言わない。
むしろ大いに語ってくれていい。
でも「賢い夢」を見ましょうや。
勇気一つを友にして』ではないが、空を飛ぶことを諦めなかった人類は飛行機という夢の装置を手にしたことを、私は忘れてはいない。

電気自動車が中国で大量に普及するとかなんとか言って、電気自動車の時代が来るみたいなこともマスコミが言うけれど、眉唾物だ。
電池(ハイブリッドは除く)で走る自動車と、ガソリンで走る自動車を比較するとそれは明らかだ。
内燃機関とモーターでは取り出せる仕事において内燃機関が勝る。
電池とモーターによる「電化製品自動車」は脆弱で、電車のようにパンタグラフで電気を外から供給されれば、見かけはクリーンな輸送手段になるだろう。
「見かけ」と断ったのは、電気の作られ方によっては決してクリーンではないからである。
このように電気自動車は、とうてい交通インフラの主役にはなれっこない。
もっと言えば、充電にかかる時間が長すぎて(数十分から2時間も)、その間、自動車が充電場所を占有することになり、ガソリンスタンドのような客の回転のよいステーションができない。
また充電ステーションは薄利で、個人でやる人が少なく、自治体くらいしかやっていない。
コンビニでも一部充電サービスが行われようとしているが、駐車スペースが取られるので、普及しないだろう。
だから、いきおい自家充電(夜間の安い電気を使う)になるけど、遠出が心配でできない。

田舎や北国ではもっと深刻だ。
冬場の、電池の効率低下や車内暖房への電気消費などを考えたら雪の中を電気自動車で走るのは自殺行為だと言われている。
これも電気自動車の脆弱性のひとつだ。

また電気がクリーンエネルギーだという神話も崩壊し始めている。
今の日本の電気は高価で、発電の仕方が、もはやクリーンではなくなっている。
そこでハイブリッド車(HV)が注目を集める。
ガソリン車と電気自動車の「ハイブリッド」で生まれたものだが、決して安直ではない。
むしろ洗練された技術だ。
基本的に電気で走る自動車であり、その電気をガソリンエンジンで発電するというものだ。
だから排気量の小さなエンジンでいいのである。
急な電池切れにも、ガソリンスタンドでガソリンを入れてエンジンを回せばすぐに充電できる。
ガソリン車が環境負担が大きいというのなら、電気自動車の脆弱性をガソリンエンジンで補えばいいのである。
私が日産「リーフ」のような完全電気自動車は普及しないと思うのはこういう理由からだ。

視点を変えて、AI技術が発達して自動運転が当たり前になるか?という夢物語について少し。
昨今の、老人ドライバーによる「踏み間違え」事故や、信号無視、逆走などの問題運転を防止するため、AI技術を駆使して運転手をサポートするのは非常に有意義だ。
これと自動運転技術は、全く思想が異なる。
ドライバーサポート技術の延長上に自動運転技術があるのではない。
百歩譲ったとしても、その間には数々のハードルが待ち構えているので、軽率に運転の自動化、無人化を語ってほしくない。
そのもっとも高いハードルが、ユーザーの多くがが全自動運転を希望していないか、期待していないということだろう。
軌道交通機関である鉄道の多くがいまだに人の運転で動いている。
その過密ダイヤでも極めて低い事故発生率を誇っているのが日本の鉄道事業だ。
これを可能な限り無人化することに、利用者は同意するだろうか?
神戸のポートライナー、大阪のニュートラム、東京のゆりかもめなどがATOによる無人運転を行っているが、これは踏切のない、列車用完全専用軌道を使っているから信頼を得ているにすぎない。
また、JRの新幹線はほぼ中央制御室による遠隔操縦によっているが、一応、運転士が搭乗しているがために無人運転とは理解されない。
ことほど左様に、無人運転に対する交通機関への利用者の忌避は大きいのだった。
たとえば、踏切の人身事故などの突発的、予測不可能な事態に対して、無人運転では対処できるだろうか?
旅客機でも、管制システムなどで、ほぼ無人運転化しているそうだが、パイロットとコパイロット(副操縦士)を常置しているのは、悪天候やハイジャックへの予測不可能な事態に対応するためである。
船舶でも大型タンカーなどは自動航法を装備しているものの、最低の人員が乗船しているのは海賊などによる乗っ取りに対応するためだという。
こういったAIに全幅の信頼を寄せ得ない事情がある以上、私たちは自動運転に懐疑的にならざるを得ない。

別の視点からもう一つ。
車の免許を持っている方なら、ある一定の年齢のドライバーだとマニュアル車というもので教習を受け、路上に出たと思う。
今は、オートマチック限定という免許があるくらいで、マニュアル車をまったくいじったことがないドライバーも多い。
これも技術革新のおかげであり、車がより運転しやすく、身近になったのだった。
ところがオートマチック車ゆえの事故「アクセルとブレーキの踏み間違い」という悲劇が多発した。
それも高齢化社会を受けて、老人ドライバーに多く見られた事故だった。
若いドライバーでも初心者や、気分がすぐれないなどの特殊な条件下でついうっかり、バックの操作などで踏み間違えることがあるらしい。
いずれにしてもマニュアル車ではなかった事故なのである。
マニュアル車は構造上、ブレーキを踏んで減速し、かつクラッチを切って再びブレーキを踏まないとエンストするようになっている。
つまりクラッチペダルを踏まずにアクセルから急にブレーキを踏んだとしたら、車は止まってしまうのだった。
若いころからマニュアル車しか運転をしてこなかった多くの老齢ドライバーがいきなりオートマチック車を扱うと、踏み間違えた時に起こる悲劇がある程度予想できたはずだ。
そんなわけで、とくに軽自動車には今もマニュアルミッション仕様のものが販売されている。
ディーラーの担当に聞くと「それは一定のユーザーがいるからだ」と答える。
「一定のユーザー」とは、ほぼ老人である。
彼ら、彼女らは実はマニュアル車の教習を受けて免許を取った口だ。
オートマチック車の教習はまったく受けておらず、ディーラーの説明や取説だけで運転しているらしい。
オートマチック車で起こりやすい運転ミスについてちゃんと学んでいない人も多いのだった。
ならば、老人にこそマニュアル車を使っていただき、「昔取った杵柄」で自信をもって運転していただきたい。
老人には軽自動車が身の丈にあっており、ディーラーもマニュアル車を供給し続けるのは社会貢献なのかもしれない。
田舎などで、免許を返上させ老人の足を奪うことはしのびない。
しかし安全確保のためには仕方がないのも事実だ。
もしマニュアル車なら安全に運転できるというのなら朗報なのだが…

かくいう、私はマニュアル車が好きだ。
オートマチック車だと「乗せてもらっている」という受け身の感覚が支配的で、運転も義務的にならざるをえない。
マニュアル車だと能動的に「車を駆る」感覚が心地よい。
ところが、好きな車種でマニュアル車を所望するともはや時代遅れのレッテルを貼られるだけだ。
「真空管のアンプとレコードプレーヤー」が好きだとかと同じレベルになってしまい、つまらない限りだ。
こういったパソコンやスマホの魅力も尽きないが、オートマチックの冷たさが、老人には非情に映るものなのだ。