『水滸伝』には押司(おうし)という役人が出てきます。
及時雨宋江(きゅうじうそうこう)の職がこの「押司」でした。

宋江は今の山東省にあった鄆城県(うんじょうけん)にいた実在の人物とされます。
彼は「衙門(がもん)」という役所に勤めています。
衙門は地方の県庁みたいな役所と思ってください。
そこには胥吏(しょり)とか押司とかいう役人が勤めておったのです。
彼らは多くは世襲制で、胥吏の家に生まれた者は胥吏になり、昇進して押司になり…という道をたどります。

もっとも衙門でも上級官吏は中央政府(宋朝)から派遣されてきます。
その下の胥吏たちは地元で招集されるようです。

じゃあ胥吏の司である押司の実務とはどのようなもんだったのでしょうか?
中世中国の行政には六衙(ろくが)という部門に分かれておりました。
吏(役人人事)
戸(戸籍実務・徴税)
礼(祭事・典礼)
兵(警察・軍事・兵役管理)
刑(訴訟・刑罰)
工(産業振興とは表向きで許可を与え手数料を召し上げる)

の六つの衙(が)です。
これは「六房」とも呼ばれました。

胥吏たちの報酬はほとんどなかったと言います。
押司さえもです。
つまりただ働きだった。
しかしそれでは誰もやらないから、彼らはその立場を利用して「手間賃(手数料)」を稼いでいたようです。
そして、当然、贈収賄の温床でした。
だからか、押司などは庶民から蛇蝎のごとく嫌われていたんです。
なのに宋江は慕われていた。
宋江と言う人は、まじめで慈悲深い好漢だったからこそ、今も語り継がれるのですね。

腐敗政治はこのようにして行われてきたのです。

「腐敗」は地方からですね。