『水滸伝』には、宋(歴史学では北宋)の政治や文化が色濃く出てくるので、少し学んでおくと楽しいです。
あたしも辞典とか、岩波『水滸伝』脚注で調べてみたものを少し紹介します。
殿帥府(でんすいふ)とは、禁軍(皇帝直轄軍)の司令部です。
司令長官を「大尉」と呼び、この物語は悪辣な高俅(こうきゅう)がその地位に上り詰めまてしまったことで、心ある好漢たちが、都を追われ、ついには梁山泊に集結するという群像劇になっています。
禁軍こそ「正規の軍隊」ですから、これ以外の軍は、私軍であり、賊軍であるのです。
小旋風柴進のように私軍を率いている名士も多くいました。
なにしろ、治安なんかあってないようなものですから、山賊に襲われては何もなりませんので、自己資金で兵を雇い、軍を興しているのです。
この時代、文武両道と言えば人の道として、人々はあこがれ、余裕があれば、できるだけいそしみました。
だからこそ、「好漢」という強くて、仁義に厚い人々がもてはやされたのです。
大尉は禁軍を統べるので、その下に禁軍師範(武芸教官)が何人もいるわけです。
王進や林冲、楊志らが禁軍師範でした。
「武芸十八般」とは、禁軍師範が指導する武芸を言います。
別名「十八般兵器」ともいい、十八種の武器およびそれらを使った武術を言います。
弓、弩(いしゆみ:ボウガン)、槍、棒、鏈(くさり)、刀、剣、矛(ほこ)、盾、斧(おの)、鉞(まさかり)、戟(げき)、鞭(べん:むち)…後はよくわかんない。
※「矛錘弓弩銃、鞭鐧剣鏈撾。斧鉞并戈戟、牌棒与槍杈」と「水滸伝」にはあります。ここに含めるかどうか不明ですが「白打(素手)」というのも使えなければならないと思います。「銃」が入っているのがおもしろいわね。
※宋代の「銃」は「飛発(ひはつ)」、つまりハンドキャノンです。唐の時代から「銃」の歴史はあります。元寇において「てつはう」と絵にあるのはこれかしら?鉄管の片方を閉じて、先込め式の銃砲です。古代砲のように筒先から火種を放り込みます。宋代に飛発は隆盛を極めました。
※「水滸伝」で轟天雷凌振が用いた「子母砲(おやこづつ)」とかいう砲は飛発を束ねた武器です。
ここでホコと呼ばれる武器には矛(ぼう)と戈(か)、戟(げき)の三種類があって、槍のように長い棒の先に刃物が固定されていて、戟には(矛+戈)の機能があるらしい。
矛(ぼう)は、槍が刺す機能しかないのに、両刃をつけて斬ることもできる武器。
戈(か)は、「つるはし」みたいな形、もしくはL字型で先端に刃がついていて、十手みたいに使うのかな。
だから戟(げき)は長い柄の付いた十手みたいな武器になる。
東亰(とうけい)開封(かいほう)府は宋(北宋)の首府で皇居がありました。
現在は河南省開封市になります。
当然、禁軍のある殿帥府および高俅のいる大尉府もここにあります。
梁中書(りょうちゅうしょ)と蔡京(さいけい)
蔡京は徽宗(きそう)皇帝の時代の宰相で、ほぼ彼が実権を握っていた実在の人物です。
蔡京と高俅も親しいわけです。
水滸伝の黒幕ですね。
能書家としても有名だった蔡京には娘がいて、その婿は北京(ほっけい)の留守居役、梁中書といいました。
梁が名で「中書」は官職だと思います。
京都伏見区に「中書島」という中世からの歓楽街がありましたが、これは脇坂中書という人の領地で、淀川の中洲だったから「中書島」と呼ぶそうです。
※今も京阪電車の駅があり、京阪宇治線への分岐点でもあります。
脇坂安治が中務少輔(なかつかさしょうすけ)の官職だったのですが、これの漢名が「中書」に当たります。
梁中書は妻に頭が上がらず、妻の面目を立たせるために、民から搾取した財で、義父蔡京に毎年、誕生日の貢物を贈るんです。
それを良しと思わない好漢どもが策をひねって略取し、民に返してやるんですね。
そこが「水滸伝」最初の見せ場です。
滄州(そうしゅう)は豹子頭林冲が、いわれなき罪で流罪にされる流刑地です。
東亰からさらに北に行ったところで渤海湾に面している僻地です。
緯度が高いので寒いです。
渭水(いすい)経略府(けいりゃくふ)とは、魯達(花和尚魯智深の俗名)が提轄(憲兵隊長)をしていた場所。
渭水は黄河の支流の一つです。
科挙と武挙が役人登用の方法です。
科挙はわかりますね。
たいそう難しい文官の試験です。
武挙は武道はもちろん、武官には文武両道を求められ科挙ほどではないにせよ難しい試験が課せられました。
こうして文官と武官が選定されて、宋朝は文民統制がとれていたかに表向きはなっていましたが、実は腐りきって、贈収賄で成り立つ腐敗政治だったのです。
都頭(ととう)や端公(たんこう)とは、役人です。
都頭は警察官ですかね。及時雨宋江が役人をしていたとき鄆城県(うんじょうけん:現在の山東省)の警邏(けいら)担当は挿翅虎雷横(そうしこらいおう)、その親友、美髯公朱仝(びぜんこうしゅどう)が騎兵都頭でした。
端公とは蔑称だと思います。「木っ端役人」程度の意味でしょう。流刑罪人の護送任務に就いたりするのが端公です。だれもやりたがらない。
獄卒(ごくそつ)も役人です。牢番みたいなのから拷問をする者、流刑地管理者などです。
また、おいおい書き足していきます。
あたしも辞典とか、岩波『水滸伝』脚注で調べてみたものを少し紹介します。
殿帥府(でんすいふ)とは、禁軍(皇帝直轄軍)の司令部です。
司令長官を「大尉」と呼び、この物語は悪辣な高俅(こうきゅう)がその地位に上り詰めまてしまったことで、心ある好漢たちが、都を追われ、ついには梁山泊に集結するという群像劇になっています。
禁軍こそ「正規の軍隊」ですから、これ以外の軍は、私軍であり、賊軍であるのです。
小旋風柴進のように私軍を率いている名士も多くいました。
なにしろ、治安なんかあってないようなものですから、山賊に襲われては何もなりませんので、自己資金で兵を雇い、軍を興しているのです。
この時代、文武両道と言えば人の道として、人々はあこがれ、余裕があれば、できるだけいそしみました。
だからこそ、「好漢」という強くて、仁義に厚い人々がもてはやされたのです。
大尉は禁軍を統べるので、その下に禁軍師範(武芸教官)が何人もいるわけです。
王進や林冲、楊志らが禁軍師範でした。
「武芸十八般」とは、禁軍師範が指導する武芸を言います。
別名「十八般兵器」ともいい、十八種の武器およびそれらを使った武術を言います。
弓、弩(いしゆみ:ボウガン)、槍、棒、鏈(くさり)、刀、剣、矛(ほこ)、盾、斧(おの)、鉞(まさかり)、戟(げき)、鞭(べん:むち)…後はよくわかんない。
※「矛錘弓弩銃、鞭鐧剣鏈撾。斧鉞并戈戟、牌棒与槍杈」と「水滸伝」にはあります。ここに含めるかどうか不明ですが「白打(素手)」というのも使えなければならないと思います。「銃」が入っているのがおもしろいわね。
※宋代の「銃」は「飛発(ひはつ)」、つまりハンドキャノンです。唐の時代から「銃」の歴史はあります。元寇において「てつはう」と絵にあるのはこれかしら?鉄管の片方を閉じて、先込め式の銃砲です。古代砲のように筒先から火種を放り込みます。宋代に飛発は隆盛を極めました。
※「水滸伝」で轟天雷凌振が用いた「子母砲(おやこづつ)」とかいう砲は飛発を束ねた武器です。
ここでホコと呼ばれる武器には矛(ぼう)と戈(か)、戟(げき)の三種類があって、槍のように長い棒の先に刃物が固定されていて、戟には(矛+戈)の機能があるらしい。
矛(ぼう)は、槍が刺す機能しかないのに、両刃をつけて斬ることもできる武器。
戈(か)は、「つるはし」みたいな形、もしくはL字型で先端に刃がついていて、十手みたいに使うのかな。
だから戟(げき)は長い柄の付いた十手みたいな武器になる。
東亰(とうけい)開封(かいほう)府は宋(北宋)の首府で皇居がありました。
現在は河南省開封市になります。
当然、禁軍のある殿帥府および高俅のいる大尉府もここにあります。
梁中書(りょうちゅうしょ)と蔡京(さいけい)
蔡京は徽宗(きそう)皇帝の時代の宰相で、ほぼ彼が実権を握っていた実在の人物です。
蔡京と高俅も親しいわけです。
水滸伝の黒幕ですね。
能書家としても有名だった蔡京には娘がいて、その婿は北京(ほっけい)の留守居役、梁中書といいました。
梁が名で「中書」は官職だと思います。
京都伏見区に「中書島」という中世からの歓楽街がありましたが、これは脇坂中書という人の領地で、淀川の中洲だったから「中書島」と呼ぶそうです。
※今も京阪電車の駅があり、京阪宇治線への分岐点でもあります。
脇坂安治が中務少輔(なかつかさしょうすけ)の官職だったのですが、これの漢名が「中書」に当たります。
梁中書は妻に頭が上がらず、妻の面目を立たせるために、民から搾取した財で、義父蔡京に毎年、誕生日の貢物を贈るんです。
それを良しと思わない好漢どもが策をひねって略取し、民に返してやるんですね。
そこが「水滸伝」最初の見せ場です。
滄州(そうしゅう)は豹子頭林冲が、いわれなき罪で流罪にされる流刑地です。
東亰からさらに北に行ったところで渤海湾に面している僻地です。
緯度が高いので寒いです。
渭水(いすい)経略府(けいりゃくふ)とは、魯達(花和尚魯智深の俗名)が提轄(憲兵隊長)をしていた場所。
渭水は黄河の支流の一つです。
科挙と武挙が役人登用の方法です。
科挙はわかりますね。
たいそう難しい文官の試験です。
武挙は武道はもちろん、武官には文武両道を求められ科挙ほどではないにせよ難しい試験が課せられました。
こうして文官と武官が選定されて、宋朝は文民統制がとれていたかに表向きはなっていましたが、実は腐りきって、贈収賄で成り立つ腐敗政治だったのです。
都頭(ととう)や端公(たんこう)とは、役人です。
都頭は警察官ですかね。及時雨宋江が役人をしていたとき鄆城県(うんじょうけん:現在の山東省)の警邏(けいら)担当は挿翅虎雷横(そうしこらいおう)、その親友、美髯公朱仝(びぜんこうしゅどう)が騎兵都頭でした。
端公とは蔑称だと思います。「木っ端役人」程度の意味でしょう。流刑罪人の護送任務に就いたりするのが端公です。だれもやりたがらない。
獄卒(ごくそつ)も役人です。牢番みたいなのから拷問をする者、流刑地管理者などです。
また、おいおい書き足していきます。