朝ごはんに、揚げ豆腐を半丁、グリルで焼いて、下ろししょうがと刻みネギと醤油をかけて食べた。
糖尿なので炭水化物を禁じられているからだ。
おまけに失職しているのだから、贅沢は言えないのである。
実は失職するのは三度目なのだった。
豆腐でもずいぶん腹持ちがいいことに気づいた。
テレビをつけると、Eテレで『日曜美術館』をやっている。
今日は「民藝(みんげい)」活動の創始者「柳宗悦(やなぎむねよし)」の足跡を追っていた。今、東京国立近代美術館で、彼の催し物を開いているらしい。
柳の『手仕事の日本』(岩波文庫)は、私も読んだし、「民藝」の常用卑近なものに愛着を感じることが味わい深いものだと気づかされた。すなわち「モノの見方」を百八十度変えられてしまったのである。
書画骨董などの名品は、もとより私たちが「愛でる」シロモノではない。
ところが日用の食器や文具などに宿る、いわば「付喪神(つくもがみ)」のようなものが見えてきたのである。
「モノを大事にしなさい」とは、幼少の頃からだれしも親に言われてきたことだ。
その「もったいない」という直截的な意味合いの裏に、民藝が、作った人への敬意であるとか、意匠のふさわしさなどを使う私たちが読み解くことまでも要求していることに気づかされたのである。
それが「民藝活動」にほかならない。
実際にモノを使ってみて、さらに「奥深さ」を鑑賞することができれば「民藝」は完成するのである。
決して博物館に収められて展示されるモノたちではないのである。
そこには生活の業(わざ)があり、必要がにじみ出ているものだ。
「民藝」とは、「芸術」ではなく「工芸」だと説いた柳の主張を私は肯定する。
作る人と使う人の縒(よ)り合わせによってモノは生きるのである。
そうやって、私の家の中を見回すと、がらくたのようなものでも、それを欲した、あるいは誰かからいただいた「こだわり」のモノがあることに気づく。
私が良く例に出す、モールスを打つ電鍵がそうだ。
ストレートキーにせよ、パドルにせよGHDという会社の手作りだと聞く。
その「仕事」の丁寧さは、随所に現れていて、民藝だと言っても肯定できるだろう。
モールス符号自体、手送信ゆえの「手作り」だからだ。パドル送信が「半自動」だとしてもである。
私は持っていないし、使えもしないキーに「バグキー」という電鍵がある。
これはもう工芸品である。打ち手も選ぶ。
愛用の腕時計だって、私は機械式の自動巻きをこよなく愛している。
ほうっておけば止まってしまう、やっかいな時計だけれど、その歯車の動きに工芸の極みを感じるからだ。
クォーツは正確だけれど、味がないとまで思う。やや不正確でも自動巻きのおもしろさのほうが私には合っているのだ。
開高健の影響でウィスキーが好きな私だけれど、そのグラスには、スコットランド製のケルト模様をサンドブラストで描いたものを使っている。これはさすがに私が買ったものではなく、恩師がスコットランドに赴任したときの土産だった。やはり手作りだそうだ。

ずっしりと手になじみ、氷を入れると、溶けて動くときに軽やかな響きを奏でる。
琥珀色の液体と、それをバックに浮かび上がるケルト模様が、まだ見ぬ大地をほうふつさせるのだ。
次のショットグラスはおまけ。

IUCr(国際結晶学会)が大阪で開かれた2008年に、私たちも企業参加したときに、結晶解析装置のトップメーカー「リガク(Rigaku)」のブースを訪問した時に記念品としてもらったもの。愛用している。2008年は、わたしが一番輝いていたときかもしれない。学会で外国の研究者に英語で対応し、亡くなった社長に褒められ、感謝された思い出が懐かしい。
私がコーヒーを飲むようになったのは、小学六年生のころだった。父の行きつけの喫茶店に連れて行ってもらったときからずっと、インスタントであれレギュラーであれコーヒーを欠かしたことはない。使ったコーヒーカップも数知れず、鉄腕アトムの絵の入ったものや、ディズニーの、「タカラブネ」という洋菓子屋で景品でもらったもの、同じくペコちゃんの、など思い出深いものがあったが、何一つ残っていない。京都で有名な雑貨屋の「INOBUN(いのぶん)」で、そんなに気に入ったわけでもなかったが、厚みのあるカップを今は使っている。コーヒーカップは肉厚な磁器がいいと私が思っているからだ。
千円ぐらいの安いカップであるが、まあ悪くない。
夏はアイスコーヒーをたしなむので、銅のカップを前から欲しいと思っていた。去年、燕三条の金属食器の会社のものをアマゾンで買って、重宝している。槌目もほどこしてあり、少々お高いと思ったが気に入っている。内側に錫鍍金がされている。これでウィスキーのロックを飲むとキャンプに行った気分だ。
化学者は料理も苦にならない。すべて「段取り」が大切なのは化学実験とまったく同じである。料理のできない化学者は、実験もたぶんできないだろう。
鍋は、アルミと鉄で、フッ素加工は使わない。寿命があることを知っているからだ。
どんなフッ素加工でも有機物なので、加熱による劣化、調理による摩滅は防げないのである。
鉄やアルミ(欲を言えば銅も)なら、芯まで同じ金属であるから、いくらこすっても、穴があくまでは使い倒せるのである。穴が開けば「鋳掛屋(いかけや)」に頼めば埋めてくれるが、そこまで使ったことがない。
そう言う意味で、こだわっている。
鉄板焼き用鉄板とフライパンと玉子焼き器は燕三条(新潟県)の鉄製。
有次(ありつぐ、京都の錦小路にある調理器具の老舗)のアルミ製「ゆきひら鍋」と片手鍋、深鍋は母から受け継いだ。
おろし金と包丁も有次製を受け継いでいる。このおろし金など「目立て」を有次で二度ほどやってもらって使い続けているくらい大事にしている。
古い京都の人ならたいていそうしているだろう。
民藝はなにも、古臭いものばかりに適用されるものではない。
スマホのデザインだって、立派な民藝だろうと思う。
持ちやすく、操作しやすいことでああいった意匠(デザイン)になっているだろうからだ。
Zippoのオイルライターもそうだろう?
愛煙家なら、手すさびに蓋を開けると同時に着火させる技を競ったことがあるだろう?
クルマももう面白く亡くなったね。
カローラ・レビンとかスプリンター・トレノ、ニッサン・シルビア、スカイライン、ブルーバード、ホンダ・シビック、インテグラなどのマニュアル車はよかった。いじり甲斐があった。
それでも人は物を作っていくだろう。
作り手の思いを感じて、モノを選ぶ矜持を持てば、それは「民藝」なのではなかろうか?
糖尿なので炭水化物を禁じられているからだ。
おまけに失職しているのだから、贅沢は言えないのである。
実は失職するのは三度目なのだった。
豆腐でもずいぶん腹持ちがいいことに気づいた。
テレビをつけると、Eテレで『日曜美術館』をやっている。
今日は「民藝(みんげい)」活動の創始者「柳宗悦(やなぎむねよし)」の足跡を追っていた。今、東京国立近代美術館で、彼の催し物を開いているらしい。
柳の『手仕事の日本』(岩波文庫)は、私も読んだし、「民藝」の常用卑近なものに愛着を感じることが味わい深いものだと気づかされた。すなわち「モノの見方」を百八十度変えられてしまったのである。
書画骨董などの名品は、もとより私たちが「愛でる」シロモノではない。
ところが日用の食器や文具などに宿る、いわば「付喪神(つくもがみ)」のようなものが見えてきたのである。
「モノを大事にしなさい」とは、幼少の頃からだれしも親に言われてきたことだ。
その「もったいない」という直截的な意味合いの裏に、民藝が、作った人への敬意であるとか、意匠のふさわしさなどを使う私たちが読み解くことまでも要求していることに気づかされたのである。
それが「民藝活動」にほかならない。
実際にモノを使ってみて、さらに「奥深さ」を鑑賞することができれば「民藝」は完成するのである。
決して博物館に収められて展示されるモノたちではないのである。
そこには生活の業(わざ)があり、必要がにじみ出ているものだ。
「民藝」とは、「芸術」ではなく「工芸」だと説いた柳の主張を私は肯定する。
作る人と使う人の縒(よ)り合わせによってモノは生きるのである。
そうやって、私の家の中を見回すと、がらくたのようなものでも、それを欲した、あるいは誰かからいただいた「こだわり」のモノがあることに気づく。
私が良く例に出す、モールスを打つ電鍵がそうだ。
ストレートキーにせよ、パドルにせよGHDという会社の手作りだと聞く。
その「仕事」の丁寧さは、随所に現れていて、民藝だと言っても肯定できるだろう。
モールス符号自体、手送信ゆえの「手作り」だからだ。パドル送信が「半自動」だとしてもである。
私は持っていないし、使えもしないキーに「バグキー」という電鍵がある。
これはもう工芸品である。打ち手も選ぶ。
愛用の腕時計だって、私は機械式の自動巻きをこよなく愛している。
ほうっておけば止まってしまう、やっかいな時計だけれど、その歯車の動きに工芸の極みを感じるからだ。
クォーツは正確だけれど、味がないとまで思う。やや不正確でも自動巻きのおもしろさのほうが私には合っているのだ。
開高健の影響でウィスキーが好きな私だけれど、そのグラスには、スコットランド製のケルト模様をサンドブラストで描いたものを使っている。これはさすがに私が買ったものではなく、恩師がスコットランドに赴任したときの土産だった。やはり手作りだそうだ。

ずっしりと手になじみ、氷を入れると、溶けて動くときに軽やかな響きを奏でる。
琥珀色の液体と、それをバックに浮かび上がるケルト模様が、まだ見ぬ大地をほうふつさせるのだ。
次のショットグラスはおまけ。

IUCr(国際結晶学会)が大阪で開かれた2008年に、私たちも企業参加したときに、結晶解析装置のトップメーカー「リガク(Rigaku)」のブースを訪問した時に記念品としてもらったもの。愛用している。2008年は、わたしが一番輝いていたときかもしれない。学会で外国の研究者に英語で対応し、亡くなった社長に褒められ、感謝された思い出が懐かしい。
私がコーヒーを飲むようになったのは、小学六年生のころだった。父の行きつけの喫茶店に連れて行ってもらったときからずっと、インスタントであれレギュラーであれコーヒーを欠かしたことはない。使ったコーヒーカップも数知れず、鉄腕アトムの絵の入ったものや、ディズニーの、「タカラブネ」という洋菓子屋で景品でもらったもの、同じくペコちゃんの、など思い出深いものがあったが、何一つ残っていない。京都で有名な雑貨屋の「INOBUN(いのぶん)」で、そんなに気に入ったわけでもなかったが、厚みのあるカップを今は使っている。コーヒーカップは肉厚な磁器がいいと私が思っているからだ。
千円ぐらいの安いカップであるが、まあ悪くない。
夏はアイスコーヒーをたしなむので、銅のカップを前から欲しいと思っていた。去年、燕三条の金属食器の会社のものをアマゾンで買って、重宝している。槌目もほどこしてあり、少々お高いと思ったが気に入っている。内側に錫鍍金がされている。これでウィスキーのロックを飲むとキャンプに行った気分だ。
化学者は料理も苦にならない。すべて「段取り」が大切なのは化学実験とまったく同じである。料理のできない化学者は、実験もたぶんできないだろう。
鍋は、アルミと鉄で、フッ素加工は使わない。寿命があることを知っているからだ。
どんなフッ素加工でも有機物なので、加熱による劣化、調理による摩滅は防げないのである。
鉄やアルミ(欲を言えば銅も)なら、芯まで同じ金属であるから、いくらこすっても、穴があくまでは使い倒せるのである。穴が開けば「鋳掛屋(いかけや)」に頼めば埋めてくれるが、そこまで使ったことがない。
そう言う意味で、こだわっている。
鉄板焼き用鉄板とフライパンと玉子焼き器は燕三条(新潟県)の鉄製。
有次(ありつぐ、京都の錦小路にある調理器具の老舗)のアルミ製「ゆきひら鍋」と片手鍋、深鍋は母から受け継いだ。
おろし金と包丁も有次製を受け継いでいる。このおろし金など「目立て」を有次で二度ほどやってもらって使い続けているくらい大事にしている。
古い京都の人ならたいていそうしているだろう。
民藝はなにも、古臭いものばかりに適用されるものではない。
スマホのデザインだって、立派な民藝だろうと思う。
持ちやすく、操作しやすいことでああいった意匠(デザイン)になっているだろうからだ。
Zippoのオイルライターもそうだろう?
愛煙家なら、手すさびに蓋を開けると同時に着火させる技を競ったことがあるだろう?
クルマももう面白く亡くなったね。
カローラ・レビンとかスプリンター・トレノ、ニッサン・シルビア、スカイライン、ブルーバード、ホンダ・シビック、インテグラなどのマニュアル車はよかった。いじり甲斐があった。
それでも人は物を作っていくだろう。
作り手の思いを感じて、モノを選ぶ矜持を持てば、それは「民藝」なのではなかろうか?