NHKの朝ドラ『おかえりモネ』の今週は、わりとよかったと思う。
気象予報士として洪水に対する避難の呼びかけで、被災地の人々の生命を守り得るという事例が、毎年同じ場所で起こるようなこんにち、被災者は何度も避難し、家屋敷を失い、復興を繰り返すことになる。
西岡予報士(西島秀俊)は「そのような土地を離れて安全な場所に住めばいい」と「命と引き換え」に被災者に訴えることに疑問を持つのだった。
ハザードマップを見れば、たいてい、自分の住んでいる場所は赤くなっている。
洪水が来たらひとたまりもないと読み取れる。
いざ避難となっても、避難所のキャパも限られ、新型コロナが蔓延している現在、有効な避難は困難になっている。
被災地に目を転じれば、そこは雨が降れば、毎度氾濫している場所がある。
そうなってくると、言いにくいが、その土地を離れる選択をするのが合理的だとなってくる。
過疎地ほど、そういう外部からの無言の要請が住民に圧力を及ぼしているだろう。
道路が寸断されて、奥の数個の集落が孤立する場合、世論は「住民を安全な町の方に移住させろ」と言うだろう。
また起こるかもしれない道路の寸断に、税金を投じて、道をつけてやることへの「コスパ」が伴わないと言いたいのだろう。
菅波医師(坂口健太郎)もモネ(清原果耶)に同じようなことを言うが、モネはそんな菅波に理解を示しながらも「冷たい」と反論するのだった。
モネの父。耕治(内野聖陽)は西岡の心のジレンマを聞いて、自分も故郷の気仙沼を出て親のカキ養殖を継がずに銀行員になったことを告白する。
「人は土地に縛られているのではなく、結局、人とのつながりを断ちたくない」のだと耕治は言い、「娘が東京で前向きに生きていく」ことを心から願っている想いを打ち明けた。
モネの祖父、龍己(藤竜也)が気仙沼の海から離れられないこともそれはそれで肯定できるのは、何もその土地に縛られて生きているのではなく、先祖代々連綿と続いてきた文化や生活、はたまた同じ集落で喜怒哀楽を共にしてきた、人とのつながりから抜けて新天地で生きていく選択肢がないからだ。
いっぽうで、東日本大震災で何もかも失った気仙沼の人々もいる。
仮設住宅から、新しい一歩が踏み出せずにこぼれていく人々がいる。
災害が、人の命と財産だけでなく、「つながり」をも断ち切るのだ。
西岡予報士は悩む。
科学で予測できる災害があったとしても、救えない命や財産があることを。
その土地自体が災害の「因子」であるとして、恒久的にその土地から「去れ」とは簡単には言ってはいけない人々の歴史があるのだ。
何度も川が氾濫し、流れが変わってしまい、谷は削られ、土地が平坦になっていくのは、地球の営みの一つに過ぎない。
人々はそれを容認してこれまで生きてきたわけである。
このごろはその災害の頻度が増し、毎年のように洪水被害をもたらしている。
それは地球環境が悪化しているからだと言われ、有効な解決手段を人類は持たない。
気象予報が、あるいは地震予知が、普段の避難への心構えが、せめてもの「命を守る行動」の指針になればよいという願いが込められているドラマだと思った。
気象予報士として洪水に対する避難の呼びかけで、被災地の人々の生命を守り得るという事例が、毎年同じ場所で起こるようなこんにち、被災者は何度も避難し、家屋敷を失い、復興を繰り返すことになる。
西岡予報士(西島秀俊)は「そのような土地を離れて安全な場所に住めばいい」と「命と引き換え」に被災者に訴えることに疑問を持つのだった。
ハザードマップを見れば、たいてい、自分の住んでいる場所は赤くなっている。
洪水が来たらひとたまりもないと読み取れる。
いざ避難となっても、避難所のキャパも限られ、新型コロナが蔓延している現在、有効な避難は困難になっている。
被災地に目を転じれば、そこは雨が降れば、毎度氾濫している場所がある。
そうなってくると、言いにくいが、その土地を離れる選択をするのが合理的だとなってくる。
過疎地ほど、そういう外部からの無言の要請が住民に圧力を及ぼしているだろう。
道路が寸断されて、奥の数個の集落が孤立する場合、世論は「住民を安全な町の方に移住させろ」と言うだろう。
また起こるかもしれない道路の寸断に、税金を投じて、道をつけてやることへの「コスパ」が伴わないと言いたいのだろう。
菅波医師(坂口健太郎)もモネ(清原果耶)に同じようなことを言うが、モネはそんな菅波に理解を示しながらも「冷たい」と反論するのだった。
モネの父。耕治(内野聖陽)は西岡の心のジレンマを聞いて、自分も故郷の気仙沼を出て親のカキ養殖を継がずに銀行員になったことを告白する。
「人は土地に縛られているのではなく、結局、人とのつながりを断ちたくない」のだと耕治は言い、「娘が東京で前向きに生きていく」ことを心から願っている想いを打ち明けた。
モネの祖父、龍己(藤竜也)が気仙沼の海から離れられないこともそれはそれで肯定できるのは、何もその土地に縛られて生きているのではなく、先祖代々連綿と続いてきた文化や生活、はたまた同じ集落で喜怒哀楽を共にしてきた、人とのつながりから抜けて新天地で生きていく選択肢がないからだ。
いっぽうで、東日本大震災で何もかも失った気仙沼の人々もいる。
仮設住宅から、新しい一歩が踏み出せずにこぼれていく人々がいる。
災害が、人の命と財産だけでなく、「つながり」をも断ち切るのだ。
西岡予報士は悩む。
科学で予測できる災害があったとしても、救えない命や財産があることを。
その土地自体が災害の「因子」であるとして、恒久的にその土地から「去れ」とは簡単には言ってはいけない人々の歴史があるのだ。
何度も川が氾濫し、流れが変わってしまい、谷は削られ、土地が平坦になっていくのは、地球の営みの一つに過ぎない。
人々はそれを容認してこれまで生きてきたわけである。
このごろはその災害の頻度が増し、毎年のように洪水被害をもたらしている。
それは地球環境が悪化しているからだと言われ、有効な解決手段を人類は持たない。
気象予報が、あるいは地震予知が、普段の避難への心構えが、せめてもの「命を守る行動」の指針になればよいという願いが込められているドラマだと思った。