私が今回底本にしたのは中学を卒業した春休みに買った吉田光邦先生の訳(講談社文庫)ですが、最近手に入れた原書(電子版)にも当たってみました。
私が中学生から高校一年生になる春休みに、入学する門真高校(現なみはや高校)教務課のほうから「高校生になる前に読んでおくべき本」としていくつか紹介されていた本の一冊がこれだった。
だから、買いに行きましたよ。梅田の旭屋書店まで。
※梅田とは大阪の「キタ」と呼ばれる繁華街のこと。JR東海道線の「大阪駅」があるところです。

実は、吉田先生の訳を読んでピンとこない部分がたくさんあったんです。
それはもう、私が物知らずな十五歳だったからで、今となっては「ああ、こういうことを言っているのか」とわかってきましたがね。
ロウソクって言ったって、私の頃には仏壇かクリスマスくらいにしかお目にかからないシロモノで、停電でもお世話になるかどうか。

それでも、ロウソクの炎を消したあとすぐに火種を近づけたら火が飛んでふたたび炎が灯(とも)ることは知っていました。
だから、そういう不思議がロウソクにあるんじゃないか?というかすかな探究心をくすぐられる『ロウソクの科学』を、ほかの推薦本の中から私は選んだのだと思います。
そのころすでに、私は電話級・電信級(現在の第四級・第三級)アマチュア無線技士になっていましたし、父のたてるサイフォン式コーヒーの仕組みを知りたくて、「やらせて」と父にせがんでいたころでもありました。
理系の魅力にとりつかれつつあったのです。

吉田訳で最初に「?」と思ったところはやはり「ロウソクの木」ですかね。
アイルランドのある湖沼地方に生えているらしいことが書いてあり、なかなか丈夫な木材であり、その木片に火を点ければ良く燃えて、たいまつになると言うのです。
しかし「ロウソクの木」を引いても、日本の「ハゼ」の木しか出てこない。
いろいろ調べていくと、ああいった寒い地方では針葉樹がよく育っていると言います。
タイガ気候ってやつ、習いましたよね。
実際、北海道の亜寒帯地方ではそうですし、そこでは松材がよくかまどや薪ストーブに使われると知りました(たしか薪ストーブの愛好家がテレビでそう言っていた)。
松材は、私が幼いころ住んでいた棟割り長屋の梁(はり)に使われていて、端っこから油みたいなものが染みてきていて、母に「あれなに?」と聞いたことがあったんです。
すると、母が「松脂(まつやに)やね」と教えてくれたんです。
松脂っていったら、ロジンバッグじゃないですか。
私はリトルリーグに一年半ほど在籍していたのでピッチャーが使う指のすべり止めの粉が松脂だと知ることになります。
だんだんそうやって知識が、雪が降り積もるように私の中で増えていきました。
その松脂が「燃える」のだということを、おそらくファラデー先生は言っているのだと思いました。
だから「ロウソクの木」は松かその仲間であろうと私は思い至ってそう訳してみました。

もちろん、大学に入って化学を専攻したことで、和ろうそくがハゼの実を圧搾して得たロウ(Japan wax)を使っているのだということも知りました。
松(パイン材)や針葉樹のイチイ、杉、ヒノキ、サワラ、モミなどの針葉樹に特有の油分(精油)、ターペンチン(テレビン油)、テルピネオール、テルペン類が含まれてそれは石油のように燃えるのだと習います。
旧日本軍が、戦争末期に燃料不足から松から松根油を採取して戦闘機の燃料に使おうとして徒労に終わったことも、上のような油分が実際に含まれているからです。
ところが原書を今回当たってみてつぎのようなことがわかりました。
原書では"Irish bogwood"とあるのがそうです。直訳すれば「アイルランドの埋もれ木」となります。
どうやら、朽木のようで、生きている木ではなさそうです。
アイルランドの泥炭層には古代の、おそらく針葉樹が埋まっていて、石炭化する前の状態で腐らずに存在しているらしく、掘れば簡単に採取できる「良く燃える薪」のようなもののようです。
「ロウソクの木」から私はいろいろなことを知ることができましたが、『ロウソクの科学』はそんな些末なことを書いた本ではありません。
ロウソクの炎の正体を突き止めることが、第一講の目的だったはずです。
炎はロウ(油でも)と空気と芯が織り成す、微妙なバランスを保った結実なのです。
ロウソク以外に、比較のためにオイルランプが出てきます。
これも現代の私たちには遠い存在の道具です。
ファラデー先生のころは、灯りと言えばロウソクやオイルランプだった。
先生の実験には電球も出てまいりますが、エジソンが発明したとされるそれはかなり高価なものだったと思います。
聞き慣れないデービー灯という石油ランプが出てきます。
ファラデー先生の恩師、ハンフリー・デービー卿という偉大なイギリスの科学者が考案したと、デービー灯の歴史にも触れられています。
デービー灯が生まれるためには、イギリス産業革命という背景が必要なんですね。
ジェームズ・ワットの発明した蒸気機関は、たくさんの石炭を要しました。
炭鉱があちこちで掘られ、炭鉱夫は暗い坑道での作業から灯りとして安い手製のロウソクを多用したとファラデー先生も書いています。
それがガス爆発を誘発して悲惨な事故が多発するのです。
デービー卿はなんとかして炭鉱ガス(メタン)の検出のための良い方法を日夜考え、引火しない安全な石油ランプを発明するのです。
最初は、ランプの炎の高さで坑道内の空気と窒息性ガスの比率を一目で知るものでしたが、灯りとしても十分使える工夫がなされて広まりました。
これがあれば、危険なロウソクを使う必要もありませんから、多少高くついてもデービー灯を使うことになります。
このような背景を、私はちゃんと書こうと思い、調べて追加しました。
科学史が当時の産業構造や人々の生活の変化に密接につながっているという好例です。

もうひとつ、中学生の私が「だいたい書いてあることはわかるんやけど、ちょっと何言ってるかわかんない」とサンドウィッチマンの富澤みたいな口調になるところがありました。
図があるので想像はつくのですが、吉田先生の訳が私には「変」に思えたのです。
以下引用します。

 気流によって炎が上にも下にも動くことをしめすために、ここでもすこしくわしく説明しましょう。ここにひとつの炎があります。これはロウソクの炎ではありません。しかし両方を比較して一般化するほどのことは、皆さんもここでできることはもちろんでしょう。私がしようとするのは、炎を上に向けている上昇気流を、下降気流に変えることです。(中略)
 ところが今、炎を下に吹くと、見られるようにこの小さな煙突(ホヤ)の方へ下むきにすることができます。気流の方向が変えられました。この連続講演が終わるまでに、私は炎が上へゆき煙は下へゆくとか、炎は下に向いて煙は上に向かうなどとするランプを見せましょう。これで私どもがいろんな方向に炎を向ける力をもっていることが分かったでしょう。

以上のような文章です。
下向き炎

実は上のような図(矢印は私が書き加えたもの)があるのですが、その図とこの文章がどう対応するのかがさっぱりわからないし、その種明かしは「この連続講演が終わるまで」お預けなので、待つしかないのかと諦めてかかるしかないのです。
ゆえに、私は、かなり付け加えてここの文章を変えてしまいました。
つまり、ケーナや尺八を吹くように、管の口の真横から呼気を勢いよく吹き付けることによってU字管(実験ではJ字管)のもう一方の口から吸気ができるという現象のことだろうとして書きました。
その吸気がいわゆる下降気流であり、その口に近づけた炎は下向きに向きを変えるだろうとしたのです。

この実験では、アルコールの炎を使うとあり、その炎の輝度が低いのでわかりやすいように塩化銅をアルコールに溶かして緑色の炎色にするのだというような説明がありました。
銅イオンによる炎色反応を利用したんですね。
ところで塩化銅がアルコール(たぶんエチルアルコール)に溶けるかどうかはなはだ疑問です。
しかし、水を含んで良いのなら、塩化銅の水溶液をアルコールに少し垂らしてやれば済むことかもしれません。
含水アルコールでも十分燃えることは、ウィナーコーヒーや調理のフランベ技法でよく知られています。
さらに言えば、エチルアルコールよりメチルアルコールのほうが無機性が強いので塩化銅を溶かしやすいかもしれません(実験してみないとわからない)。

最後にわからなかったのは、皆さんもそうだと思うんですが「スナップドラゴン」というゲームでしょう。
これは、レーズンとブランデーと火を使ったゲームらしいことが文章から知れるんですが、実際どんなゲームなのかは、インターネット社会になってから知りました。
アルコール(ブランデー)の火は皿に薄く流しただけでも引火点が低いのですぐに燃え広がりますから、レーズン(干しブドウ)がロウソクの芯だというファラデー先生のたとえはどうかと思いますよ。
日本人は試さない方がいいと思います。かなり危ないです。

本を買った当時は、私にはさっぱりわからなかったんです。
ファラデー先生と生徒さんたちイギリス人にはおなじみのゲームだったようです。
時代と文化の違いを見せつけられましたね。


あとね、ファラデー先生が「毛細管現象」と「サイフォン現象」を同じことのように書いておられるんですが、違いますよね。
毛細管現象はまさに水の表面張力によって、細管や繊維の束、密接な粒子間を重力に逆らって昇っていく現象で、二十メートル以上にもなるメタセコイアのてっぺんまで水分が上げられるのはこのためです。
一方で、サイフォン現象は重力によるものですから、原水溜めの水位と釣り合うと水の移動も止まります。
水を張った洗面器の縁に不注意にかけたタオルを伝って床に水がこぼれ出てしまう話はサイフォン現象ではなく毛細管現象によるものです。

もう一度その部分を読んでみましょう。
まず吉田訳
「手を洗ってタオルでふいたのち、タオルを洗面器のふちに投げかけておいたため(中略)これは洗面器のふちにかけられたタオルが、サイフォンの役目をはたしたために起こるのです(4)
そして原文(太字の和文の部分のみ)
"because it happened to be thrown over the side in such a way as to serve the purpose of a syphon.[5]"
どうですかね?
"in such a way as to~"の訳し方が曲者で「(毛細管現象が)サイフォン現象に似たような」と訳せば、「原理は違うが結果は同じ」というニュアンスになるかと思いますし、おそらくファラデーもそのつもりで書いているのだと思います。吉田訳の「サイフォンの役目をはたした」というのもわからなくはないですが、毛細管現象とサイフォン現象があたかも同じ原理で働いたかのようなニュアンスを与えます。
このサイフォン原理については、重要な注意があります。
実は永らくサイフォンの原動力は「大気圧」によるものだとされてきて、だれも疑わなかったのですが、「サイフォン原理」を初めて載せたオックスフォード大辞典(1911年版)にも「大気圧による」という記載があることを今世紀に入ってからオーストラリアのクィーンズランド大学のスティーブン・ヒューズ氏が見つけて「おかしいぞ」と指摘し、「それは重力によるものだ」と訂正を求めたといいいます。

なお、『ロウソクの科学』で引用した吉田訳と原文の原注番号が異なっていますね。なぜでしょうかね。日本語訳のほうが数が若いのは吉田先生が割愛されたのかもしれません。原注(4)も[5]も同じ内容で、「この原理によってはじめてクルマエビを洗うことができるとしたのは、故サセックス公爵である。エビの尾の扇形の部をとりさり、尾をコップにひたし頭を外にたらしておけば、水は毛細管引力によって尾から吸いあげられコップ中の水は、なくなるまで尾から頭へ流れ続けるとした」というような訳が吉田先生によってつけられています。

こういうことを理解する反面教師にもなる『ロウソクの科学』は、今もなお科学のテキストとして有効なものですので私はことあるごとに教材として取り上げています。