長雨です。それも災害を伴うような…
お盆に長雨は、やはり地球温暖化の影響でしょう。
コオロギの声を、今晩、聞きました。
雨の合間を縫って、オスたちの恋の季節です。

こほろぎや 夜来の雨に 濡れており (尚子)

洪水を伴うような大雨が降っているところもあれば、極度な乾燥で山火事が起こっているところもあります。
地球レベルで見れば、これでつじつまが合っているわけです。
大気中の水分の偏りが、このような災害をもたらしているのです。
水の収支は合っているんですね。

もっと平穏な水の循環があってもいいのですが、それを許さない環境の変化が、現在進行しているんですよ。こればかりは、どうしようもない。

海水温の高い状態が、北部太平洋で続いています。
大陸の乾燥した冷たい高気圧が、南の熱い湿った風を冷やし、露点に達して水蒸気は水になり落ちてきます。

寒冷前線と温暖前線が押し合っているところが停滞前線で、まさに日本列島の上に沿って、存在しています。

これだけなら、しとしとと「長雨」で済むのですが、そうではないのが今回の特徴です。
「線状降水帯」という言葉をよく聞きますね。
積乱雲が次々に発達し、同じ場所で、豪雨が降り続くのです。それが雨雲レーダーでは「直線状」に現れるのでこう呼ばれるのです。
地形的なものもあるでしょう。積乱雲は、山の傾斜に沿って上昇気流に乗って発達するからです。
水分を大量に含んだ空気が、急上昇すると、上空は気圧が低いですから急激に膨張(断熱膨張)して水蒸気は昇華して固体(氷)になります。
氷があまりにも大きく急成長すると、落下する間に溶け切らず、雹(ひょう)になって地上に達するのです。(実際は上昇気流によって、落ちながらも、再び舞い上げられ、大きな氷に成長するようです)
そうでなくても、氷が溶けて大粒の雨が大量に降り注いできます。
夕立ちなら一時(いっとき)の大雨で、すぐに止みますが、線状降水帯はそうではないのです。

なぜ線状降水帯が頻繁に生じるようになったのか?
局地的な解釈では説明できないらしいです。
太平洋の高温海水塊が原因だと言われます。
しかしそれだけでもなさそうです。
これから、いろいろわかってくるのかもしれませんが、少なくとも、数十年前には台風以外でこんなに洪水被害が出ることはなかったはずです。

地球規模の乾燥と洪水は、今世紀、急に増えたように思います。
それは地球の温暖化と無関係ではないというのが科学者の説です。
その温暖化をもたらしたものが、私たち人類の生活によるものなのか、そうでないのかが、問われています。
この解釈には多分に政治的な力が働いて、私たちは、正しい判断ができずにいます。
「総論賛成、各論反対」の喧々諤々の議論が続いて、SDGsでも落としどころが見つかりません。
なんでもそうですが、それぞれの主張は、それぞれの立場から発せられます。
正義正論を振り回して、相手を論破し、ねじ伏せることでは何の解決にもならないのです。

徐々に増えていく二酸化炭素(もしそれが元凶だとして)を減少に転じさせることは、最早(もはや)時機を逸しているようです。
二酸化炭素排出量を抑える技術を、カネをかけてやるのは現実的ではないようにも思えます。
化石燃料の燃焼を抑えるのはすぐにでもできそうだけれど、代替の技術革新がないと、いきおい窮乏生活を強いられることになります。
意識の高い人は「それも仕方ない」と甘んじるでしょうが、たいていの人々は生活の「現状維持」を求めます。
電気が「クリーン」なエネルギーだというのは幻想です。それを作るために、かなりの化石燃料を消費しているのです。
またリサイクル事業においても、再生させて再利用する行程で化石燃料が消費されています。
たとえば、アルミ缶の再生には、大きな電力を必要とするのです。
じゃあ「原子力は?」という日本政府の考えも出てくるのは当然なんですね。
そこを私たちも本気で考えねばなりません。
私はこの問題に、誰もが納得する答えはないと思います。
何かを捨てるなら、代わりのものを用意しなければ、生活の現状維持は不可能です。
プラスチックの問題が、まさにそうです。
プラスチックを社会から締め出すことが得策ではないということは、誰にでもわかります。
物を包むだけなら、何もプラスチックを使う必要はないのです。
竹の皮でも、紙でも、環境負荷の少ない包材があるはずですから。
ところが、耐久部品に使われるプラスチックは代替品がありません。

一方でプラスチックが化石燃料から作られることも、知っておいてください。
あらゆるプラスチックの原料は石油です。

ガラスや金属は再利用しやすいものだとされています。
しかし、融解にはアルミ缶の場合に述べましたように、大電力や大量のコークスを燃やさねばできません。
ガラス瓶の場合、洗って使うリユースがかつてされていました。
宅配牛乳瓶は健在ですし、ビールも業者では瓶ビールが利用されますがあれはリユースです。
業者の生ビールは、専用容器が通函(通いの容器)として流通しています。
食品容器のリユースは衛生管理がしっかりしていれば、とても環境負荷が少ないとされています。
先人の知恵ですね。
ガラス瓶の場合、割れやすく重いので輸送コストがかかるのですが、そこは課題ですが、簡単な加熱殺菌が可能です。

ペットボトルのリユースを提案する人がいましたが、実際問題として、客は喜びません。
内容物によりますが、雑菌の繁殖が防げず、加熱殺菌もできないので、もしやるなら、ミネラルウォーターの容器に限ってリユースするということはできなくはないと思います。

このような知恵の絞り方では「ごまめの歯ぎしり」程度でしょう。
地球は45億年も前から、悲惨な環境を生き抜いてきました。
人類は、ほんの少しの間に地球に存在しただけです。
なのに、この環境変化はどうですか?
よくよく考えたら、人間にとっての環境であって、地球の立場からしたら、温暖化など、そよ風くらいの変化なんですよ。
過去には、強酸の雨が降ったり、灼熱地獄の地表だったり、厚い氷河におおわれたりしたわけです。
二酸化炭素のわずかな量に危機感を感じ、平均気温の1、2℃の上昇を恐れたりしていますが、地球は痛くもかゆくもないわけです。
「地球を守ろう」とか「地球が泣いている」とか、おこがましいんですよ。
地球にかこつけていますが、それは人のエゴでしょう?

「やらないよりは、やったほうがいい」程度に環境問題に取り組むのが、身の丈に合った方法だと思います。