植物の進化について、気になっていたことがあった。
高校の生物で、菌類からシダ・コケ類、ソテツ(裸子植物)、針葉樹(裸子植物)、被子植物の大まか流れで植物は進化してきたと習った。
もっと大きく分ければ、胞子で殖える植物と種子で殖える植物に分けられることは明らかだ。
植物のもう一つの分け方に「雌雄異株」と「雌雄同株」がある。
繁殖の本質である性別が個々の生体によって分化しているのか、生体の中で両性具有しているのかということだ。
もちろん、雌雄異株のほうが進化論的には劣等のように捉えらえがちだが、私たちの周りを見ても、雌雄異株の植物の繁茂は雌雄同株の種をしのぐほどである。
雌雄異株の典型であるシダ・コケ類の勢いを見ても明らかである。
植物の生殖において雌雄の異株か同株の差異など優劣の基準にならない。
シダ・コケ類が胞子で殖えることは良く知られているけれども、ではこれらの植物がいかにして種子植物へ繁殖方法を変えていったのかを考察してみたい。
分類学的に、コケ類が光合成の効率化を求めて葉を持ち始め、シダ類になっていっただろうと考えられる。
シダ類は特徴的な発達した葉を持つ。
ヘゴというシダはソテツのように背が高く育つ。
ヘゴがソテツ(裸子植物)の祖先であろうと想像できる。
地衣類のようなシダの仲間にはヒバやスギゴケ、サンショウモ類に姿を変えたものもあった。
その前にスギナやトクサを忘れてはいけない。
春にツクシを伸ばすスギナは、まったく別の植物と思われがちだが、掘り起こしてみるとツクシはスギナと根でつながっていることがわかる。
ツクシはスギナの生殖器であり、胞子を飛ばすために春先にツクシを伸ばすのである。
和風の庭に好んで植えられるトクサもスギナの仲間である。
トクサやスギナは石炭紀の生き残りであり、石炭紀には、巨大なトクサやスギナの祖先のロボクやリンボクが繁茂していたのである。
彼らの末裔であるトクサやスギナにその先の進化はなかった。
しかし、シダ類はついに雌雄異株で受粉によって種子を作る体を得た。それがソテツ類である。
ソテツは裸子植物であり、まだ漿果(果肉)を持たない。
ソテツから、雌雄異株のヤシ類(被子植物)が進化し、もう一方で、雌雄同株のスギやヒノキ、マツなどの針葉樹を発達させる。
針葉樹は「マツカサ」を作る雌雄同株の樹木である。つまり雄花と雌花を一本の木に持つ。
ヤシ類は「ヤシの実」のような液体を果実の中に保有するものや、ナツメヤシのように果肉をまとった種子を持つものまである。
ソテツからなのか、ナツメヤシからなのかわからないが、被子植物の祖先の生き残りのイチョウが生まれるのだった。ただし、イチョウは分類上はまだ裸子植物である。私も知らなかった。
イチョウは雌雄異株で、特徴的な扇形の葉を持ち、美しく黄葉して落葉することは誰でも知っている。
※自家結実性と雌雄異株は話が異なる。自家結実は、雌雄同株で、雄花・雌花あるいは雄しべ、雌しべが同じ生体のなかで受粉結実するものと、しにくいものという園芸上の分類である。
イチョウの葉の表面はざらざらしており、トクサの表面に似ている。
もっと特徴的なのはイチョウの繁殖には雄性精子の存在があることであろう。
イチョウがシダ類と種子植物の進化の中間的存在と捉えられている証拠になる。
そうするとシダ類から同時多発的に、種子植物が発生し、裸子も被子も生れたのではなかろうか?
裸子植物から被子植物に進化したのではなく、環境に応じてシダ類から裸子植物も被子植物も分化したのであろう。
どうして植物は、裸子とは別に、被子という果実を生んだのだろうか?
良く言われているのは、鳥類や獣類に食べてもらって、糞に交じって播種してもらうため、甘い果肉をまとっているのだという説である。
確かに、ガマズミやコーヒーノキ、サクラで観察される。
昆虫に運んでもらう「エライオソーム」も同じ理屈だった。
ところが、イチョウの果実はとても食べられた代物ではない。ひどい悪臭に加えて、果汁にかぶれるのである。
いったいどんな生物がイチョウの実であるギンナンを食べるというのだ?
※私たちは苦労して、ギンナンを賞味しているが、まったくイチョウの繁殖とは関係がない。種子を食べているのだから。アライグマは気にせず食べるらしいことがWikipediaに載っていた。水で洗って食うのだろうか?
イチョウはなぜか今の状態でペルム紀に発生しそのまま進化を止めた。
分類上、イチョウ目イチョウ科イチョウ属イチョウ一種であるところからも、進化を止めたことが明らかだ。
イチョウ以外の被子植物は文字通り「千変万化」である。
草本・木本の違いはあれど、ほぼ地球上の植物は被子植物である。
裸子植物の針葉樹は木材としてしかほとんど利用されないが、被子植物は果樹や木材、街路樹、茶、鑑賞など多く利用されている。
被子植物としてのイチョウは「失敗作」だったのかもしれない。
マツにもサクラにもなれなかったイチョウは孤高を守り、人とのかかわりは有史以前からの付き合いである。
街路樹として、町を火災から守り、材は丈夫で、落ち葉で子供たちを遊ばせ、ギンナンを酒肴にもたらし、医薬としても活躍が期待されているらしい。
途中からイチョウの話になってしまった。
高校の生物で、菌類からシダ・コケ類、ソテツ(裸子植物)、針葉樹(裸子植物)、被子植物の大まか流れで植物は進化してきたと習った。
もっと大きく分ければ、胞子で殖える植物と種子で殖える植物に分けられることは明らかだ。
植物のもう一つの分け方に「雌雄異株」と「雌雄同株」がある。
繁殖の本質である性別が個々の生体によって分化しているのか、生体の中で両性具有しているのかということだ。
もちろん、雌雄異株のほうが進化論的には劣等のように捉えらえがちだが、私たちの周りを見ても、雌雄異株の植物の繁茂は雌雄同株の種をしのぐほどである。
雌雄異株の典型であるシダ・コケ類の勢いを見ても明らかである。
植物の生殖において雌雄の異株か同株の差異など優劣の基準にならない。
シダ・コケ類が胞子で殖えることは良く知られているけれども、ではこれらの植物がいかにして種子植物へ繁殖方法を変えていったのかを考察してみたい。
分類学的に、コケ類が光合成の効率化を求めて葉を持ち始め、シダ類になっていっただろうと考えられる。
シダ類は特徴的な発達した葉を持つ。
ヘゴというシダはソテツのように背が高く育つ。
ヘゴがソテツ(裸子植物)の祖先であろうと想像できる。
地衣類のようなシダの仲間にはヒバやスギゴケ、サンショウモ類に姿を変えたものもあった。
その前にスギナやトクサを忘れてはいけない。
春にツクシを伸ばすスギナは、まったく別の植物と思われがちだが、掘り起こしてみるとツクシはスギナと根でつながっていることがわかる。
ツクシはスギナの生殖器であり、胞子を飛ばすために春先にツクシを伸ばすのである。
和風の庭に好んで植えられるトクサもスギナの仲間である。
トクサやスギナは石炭紀の生き残りであり、石炭紀には、巨大なトクサやスギナの祖先のロボクやリンボクが繁茂していたのである。
彼らの末裔であるトクサやスギナにその先の進化はなかった。
しかし、シダ類はついに雌雄異株で受粉によって種子を作る体を得た。それがソテツ類である。
ソテツは裸子植物であり、まだ漿果(果肉)を持たない。
ソテツから、雌雄異株のヤシ類(被子植物)が進化し、もう一方で、雌雄同株のスギやヒノキ、マツなどの針葉樹を発達させる。
針葉樹は「マツカサ」を作る雌雄同株の樹木である。つまり雄花と雌花を一本の木に持つ。
ヤシ類は「ヤシの実」のような液体を果実の中に保有するものや、ナツメヤシのように果肉をまとった種子を持つものまである。
ソテツからなのか、ナツメヤシからなのかわからないが、被子植物の祖先の生き残りのイチョウが生まれるのだった。ただし、イチョウは分類上はまだ裸子植物である。私も知らなかった。
イチョウは雌雄異株で、特徴的な扇形の葉を持ち、美しく黄葉して落葉することは誰でも知っている。
※自家結実性と雌雄異株は話が異なる。自家結実は、雌雄同株で、雄花・雌花あるいは雄しべ、雌しべが同じ生体のなかで受粉結実するものと、しにくいものという園芸上の分類である。
イチョウの葉の表面はざらざらしており、トクサの表面に似ている。
もっと特徴的なのはイチョウの繁殖には雄性精子の存在があることであろう。
イチョウがシダ類と種子植物の進化の中間的存在と捉えられている証拠になる。
そうするとシダ類から同時多発的に、種子植物が発生し、裸子も被子も生れたのではなかろうか?
裸子植物から被子植物に進化したのではなく、環境に応じてシダ類から裸子植物も被子植物も分化したのであろう。
どうして植物は、裸子とは別に、被子という果実を生んだのだろうか?
良く言われているのは、鳥類や獣類に食べてもらって、糞に交じって播種してもらうため、甘い果肉をまとっているのだという説である。
確かに、ガマズミやコーヒーノキ、サクラで観察される。
昆虫に運んでもらう「エライオソーム」も同じ理屈だった。
ところが、イチョウの果実はとても食べられた代物ではない。ひどい悪臭に加えて、果汁にかぶれるのである。
いったいどんな生物がイチョウの実であるギンナンを食べるというのだ?
※私たちは苦労して、ギンナンを賞味しているが、まったくイチョウの繁殖とは関係がない。種子を食べているのだから。アライグマは気にせず食べるらしいことがWikipediaに載っていた。水で洗って食うのだろうか?
イチョウはなぜか今の状態でペルム紀に発生しそのまま進化を止めた。
分類上、イチョウ目イチョウ科イチョウ属イチョウ一種であるところからも、進化を止めたことが明らかだ。
イチョウ以外の被子植物は文字通り「千変万化」である。
草本・木本の違いはあれど、ほぼ地球上の植物は被子植物である。
裸子植物の針葉樹は木材としてしかほとんど利用されないが、被子植物は果樹や木材、街路樹、茶、鑑賞など多く利用されている。
被子植物としてのイチョウは「失敗作」だったのかもしれない。
マツにもサクラにもなれなかったイチョウは孤高を守り、人とのかかわりは有史以前からの付き合いである。
街路樹として、町を火災から守り、材は丈夫で、落ち葉で子供たちを遊ばせ、ギンナンを酒肴にもたらし、医薬としても活躍が期待されているらしい。
途中からイチョウの話になってしまった。